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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(45)アジテーターは善悪二項対立を演出する

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 前回、「イデオローグとアジテーターがコンビを組んで大衆扇動をする」ということを書きましたが、「アジテーター」の中でもコアなグループというものが世の中には存在し、次々と手を変え品を変えては「大衆扇動」をしようとするものです。

 そこで彼らが実際どんなふうに「手を変え品を変え」て大衆扇動を行ってきたのか、その構図を確認してみましょう。枝葉末節を切って捨ててバッサリ極論を書くとこうなります。
 
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 コアなアジテーター・グループの世界観では、世界には「悪しき者」と「善き者」がいます。「悪しき者」というのはおおまかに日本とアメリカの政府・軍・大企業等、つまりは左翼運動用語でいう「体制側」に属する者であり、「善き者」というのは労働者・子供・女性・中小零細企業・知識人・文化人・マスコミ・教育者といった属性を持つ者です。
 もちろんこれはバッサリ単純化して言っているので、例外はいくらでもあります。(特に「女性」とひとくくりにして欲しくないという声は多いと思いますが・・・でも実際のところ「子供」と「女性」という属性ラベルを使って政治的主張を通そうとするのは、コアなアジテーター・グループの常套手段なんです)

 そして、「悪しき者」は「悪しき行い・考え方」をしている。それに対して、「善き行い・考え方」とはこういうものだ。我々「善き者」は、「善き行い・考え方」をもって「悪しき者」どもの「悪しき行い・考え方」を粉砕しなければならない・・・・という形のアジテーションを行うのが通例です。

 図中に対称的に書いておきましたが、具体的に例を挙げていきましょう。
 国際社会において発言力を確保するために「防衛力増強」をしなければならない、とする考え方に対して、「軍隊はいらない」と主張する人々が存在します。

社民党の理念 「違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、非武装の日本を目指します」
http://www5.sdp.or.jp/vision/vision.htm

共産党 憲法九条と自衛隊 どう考える?「最終的には憲法9条の完全実施=自衛隊の解消へ」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-18/0518faq.html

 これら「軍隊はいらない」非武装論者にとって核兵器というものは当然批判の対象であったため、彼らは反核(兵器)運動を展開しました。その反核運動が反・原子力運動へと波及したわけです。特に日本社会党→社民党系のスタンスはそういうものでした。

 ちなみに「軍隊はいらない」論者が学校教員になると、「自衛隊は非道徳的な組織でありその存在自体が恥であり、自衛隊員の子もまた同罪である」という主張を展開して、自衛隊員の子供をクラスで吊し上げる者がいた、という証言は数え切れないほどあります。

  →元警察官僚・内閣安全保障室長佐々敦行の証言

 こういうのを見ると、鬱憤を晴らすために弱い者いじめをしているようにしか見えませんが、実際、自衛隊は第二次大戦の不幸な歴史を背負って生まれた関係上、長いこと社会的に叩かれやすい不遇の時代が続き、「いくら叩いても決して反撃してこない」、左翼グループにとって都合のいいサンドバッグだった経緯があります。

 しかし、1980年代後半には、50年代とは違って一般社会での自衛隊への風当たりは弱くなっていました。高度成長が継続し、東西冷戦も終わりが見え、自衛隊や日米安保条約の存在の是非が政治課題に昇ることも少なくなり、社会党・共産党などの左翼政党の議席が長期低落する一方、中曽根内閣が高い支持率を維持する中で起きたのが86年のチェルノブイリ原発事故です。これで、反原発運動は左翼グループにとって都合のいい攻撃材料として浮上したわけです。
 つまるところ、「反原発」というのは左翼グループにとっての政治の道具でした。反原発運動の源流はこういうところにある、ということは知っておいてください。

 参考までに最近判明したこういう情報も見ると、「反原発運動は政治の道具である」ということがあらためてわかります。

産経新聞 2012/04/05 過激派、福島大で暗躍・・・「反原発」で活動家養成
 東日本大震災の被災地で、過激派「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」が、勢力拡大に躍起になっている。公安当局は「震災で吸引力を増した反原発やボランティアを隠れみのに勢力を拡大しようとしている」とみて警戒を強めている。


 記事中に上がっているのは極左暴力集団として有名な過激派ですが、過激派に限らず現在は与党野党を問わずれっきとした国会議員もまた「脱原発」を票集めに利用しようとしている状況です。

 ちなみに、日本共産党は社会党→社民党に比べて原子力の平和利用に対する姿勢は柔軟で現実的には利用を容認するものでしたが、昨年の原発事故を契機に「早急な脱原発」路線へと方針を転換しています。
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110612_genpatsu_teigen.html
 リンク先では「当初からきっぱりと反対してきた」と主張していますが、それは事実ではありません。

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 こうした、純然たる政争の道具として「反原発」を主張するグループがいる一方で、「反核運動にも非武装運動にも政治にも興味はないけど、原子力は自然に反するものだからやっぱり人類が使うべきではない気がする」・・・と思う人もいます。「エコロジー生活」「スローライフ」といったキーワードから反原発運動に親近感を持ち、理解を示すケースもあるわけです。

 こういう立場は知識人・文化人に多く、彼らは農業・食品関連の技術開発や農業の大規模化に反対しつつ、有機農業や「昔ながら」の伝統を守る農業や食品加工技術を賛美する傾向があります。農業分野について「昔ながら」を賛美すること自体をとやかく言う気はありませんが、問題は「昔ながら至上主義」的な短絡ロジックにはまってしまうと自動的に「原子力」にも「化石燃料」にも否定的な意見を持ちやすく、そのまま、決して原発代替にはならない「自然エネルギー」の幻想を信じやすいということです。

 そのため、「反原発」というキーワードは、このタイプの「本来は政治に興味がないけど・・・」という層の支持を集めるために都合のいいスローガンなんです。
 「でも、だって、実際原発事故は怖いじゃないですか・・・」と思う気持ちはわかります。が、自党への支持を集めるためにその気持ちを利用する、つまり「実際には原発の是非を政争の道具としか思っていない」グループがいることは知っておいてください。知らないままだと、都合のいいように操られるままで終わってしまいます。それでは、「安全神話」を鵜呑みにしていた時と変わりません。
 知った上でやはり脱原発を支持する、というのであればその判断と感情は私は尊重します(賛成はしませんが)。

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 今回例に挙げた「悪しき」対「善き」行い・考え方のリストに出てくるものは本来それぞれ別の問題です。たとえば兵器輸出の是非と有機農業の是非はまったく別な問題ですからそれぞれに別個の判断が必要です。しかし、たとえば

    エコ・スローライフを好意的に評価する人は、
    原子力に対して否定的な考えを持ち、
    非武装主義や自然エネルギーを好意的に評価し、
    兵器輸出や雇用流動化の促進を否定的に捉える

 といった共通パターンの考え方をする傾向があります。もちろん、個々にちょっと違うケースはありますが大まかに言えばそうだということです。これは根底の価値観や思考・行動習慣に共通のバイアスがあるからで、それについて誤解を恐れず極論をかますと

    意思決定の負担を拒否する思想

 です。コアな「アジテーター・グループ」は、こうした思考バイアスを持つ集団に対して手を変え品を変えアジテーションを行って、本を売り新聞を売り講演を売り健康食品を売るもので、反原発・脱原発運動はその道具にされているに過ぎません。

 ・・・と言っても、「意思決定の負担を拒否する思想」とは何のことかわかりにくいと思いますが、そろそろ書くのに疲れてきました。この話は次回に回します。

     (つづく)


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