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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(29)適切な意思決定を妨げる「認知的不協和」問題について(2)

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 さて、昨日の「認知的不協和」問題の続きです

 複数の事実について認知的不協和を生じるとき、人は「事実を変更」するのではなく「認知を変更」することによって問題を先送りし、見て見ぬふりをしようとすることがある、という話でした。

 これが原発事故に関わる「事実」と「認知」についてどう影響するかというと、要は「無駄な努力をしたとは思いたくない」ということなんです。



 世間には「反原発運動家」という人々がいて、反原発運動自体でメシを食っているグループが存在します。彼らの言うこと(情報1)を信じて行動すると、

    認知A:対策をしないと子供の安全を守れない
    認知B:放射能対策に多大な労力を投じた


 という認知セットが形成されます。この段階では不協和は起きません。

 ところが、反原発運動家の主張はその大半が大幅に誇張されたものであり、実際には放射能の危険性は大したことがない、と読み取れること(情報2)も国連科学委員会報告やICRP勧告など、権威ある機関からいくつも出ています。([1] [2] [3])
 しかし情報2を信じると

    認知C:対策は必要なかった
    認知B:放射能対策に多大な労力を投じた


 となってしまい、認知的不協和を起こします。これが「無駄な努力をしてしまったとは思いたくない」という心の働きなんですね。

 これは、「事実1」で「自分自身で行ってきた放射能対策」が大がかりであればあるほど、認知Bが強固に形成されるため、それと不協和を起こすような認知の変更(A→Cへ)は受け入れがたくなるわけです。

 こういう現象はもう人間の根本的・本質的な心の働きによるもので、誰にでも起きます。だから、そうなるのが当たり前であって、ごく自然な心理状態だと思ってください。

 そしてこのような「認知的不協和への拒否反応」があるときは、科学的事実を示すことで認知の変更をさせようとしてもなかなか効きません。認知Bが起きてないときなら、情報2をきちんと説明すればA→Cの認知変更が効くんですが、時間が経ってBが固まってしまうとダメです。

 ・・・・じゃあ、どうしたらいいのか? 次回へ続きます。

[1]原子力論考(2) 実際のところ、放射線はどれぐらい危険なの?
[2]原子力論考(4) 低線量放射線の危険性は過大評価されている?
[3]原子力論考(5) LNT仮説を否定する証拠の数々


■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
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