「ボット(bot)」とは何か
ときどき、「ボットの語源がロボットだという説明をすると、怖さが伝わらない」という話をされます。確かに、その点には合意できる部分があります。日本人にとって、ロボットとは、たとえば鉄腕アトムだとかガンダムといったように、いわゆる正義の味方みたいなイメージがありますし……。危険な香りがしないですよね。
ただ、経験的に「ロボットの語源」の話をしていくと、受け手の人にちょっと違った視点が出てくるようになるようです。そこで今回は、普段している話の内容を簡単にまとめてみることにします。要領を得ていないかもしれませんが、ご参考程度ということでご容赦ください。/(^^;
「ロボット(robot)」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペック(*1)氏の兄ジョセフ氏が「強制労働」とか「奴隷状態」を意味するチェコ語の「ロボッタ(robota)」から創った新語であるとされ、チャペック氏の「R.U.R.(Rossum's Universal Robots)」という作品の中で初めて登場します。人間の代わりに労働をしてくれる万能労働者として位置づけされたロボットは、いわば奴隷のようなものでした。この劇場興業のときの写真は、「A COMPUTER PERSPECTIVE―計算機創造の軌跡」(アスキー、ISBN4-7561-0175-5)の中、ちょうど100ページ目に掲載されています(余談ですが、この本は良書だと思っています。手前味噌かもしれませんが……)。
(*1) 名前の仮名書きに関して、以前は「カレル・カペック」という表記を採用していましたが、こちらの書き方が主流なのかもしれません。
個人的には、ロボットとは、機械化の進歩への不安と、奴隷問題など、人間の尊厳といった面の表現から生み出された創造物であると思っていますが、現在では、本当に人間の代わりに何かをしてくれる存在になりつつあります。もしかすると、このギャップが、最初の話「ボットの語源がロボットだという説明をすると、怖さが伝わらない」という部分につながっているのでしょうか。
さて、こうした「ロボット」という言葉の生い立ちを考えると、コンピュータの内部に侵入し、さまざまな活動を行う「ボット」の意味が見えてきます。すなわち、コンピュータ内に仕込まれたボットは、「Herder」や「Master」と呼ばれる指揮者から指示を受けてもくもくとその作業をこなす万能労働者であり、かつ奴隷なのではないのかと思えてくるのです。
でも、そう考えるとボットがが少し可哀想にも見えてきます。「R.U.R.」の中でロボットは抑圧からの解放を求めて反乱を起こしますが、プログラムであるボットは非常に従順な僕(しもべ)として動くのみなのですから。
ボットおよびボットネットに関する情報は、JPCERT/CCやTelecom-ISAC Japanなどから得ることができます。「ボットネット概要」などは非常に有用な情報がまとめられていますので、ぜひご覧ください。
追伸:実は、少し前に会社を設立しました。多忙にかまけて、ご挨拶が十分にできず申し訳ありません。そのうち、ちょっと面白いことをしようと考えています。m(__)m