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文学部出身のライターとして取材現場などで勝手に感じた文化の匂いをお届けしたい

紀伊国屋文左衛門の志に学ぶ

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 江戸時代の豪商として名高い紀伊国屋文左衛門は、商人であるとともに、冒険家でもありました。暴風雨が吹き荒れる中で船を出し、紀州からみかんを江戸に運ぶことで財を成したと言われています。もはや伝説の世界の話です。

 文左衛門の時代にリスク分析ができるシステムがあったら、文左衛門は船を出したでしょうか。気象情報から江戸にたどり着ける確率を計算したら、多分NOだったはずです。一歩踏み込んで、江戸にたどり着ける確率と、たどり着けた時に儲けることができる金額を天秤にかけたとしても、やはりNOだったのではないでしょうか。

 商売の基本は、安く仕入れて高く売ることです。ものの価値観が違う国と国の間で特産物を取引する貿易が多大な富をもたらしたのは、商売の基本から見れば当然です。そこには、情報戦が繰り広げられ、情報を握るものが勝利を手にしてきました。日本の商人は優秀です。だからこそ、商社が大きな成功を収めてきたのです。

 

 文左衛門の時代も同じです。商人は常に情報を集めて分析し、ギリギリのところでライバルを出し抜き、利益を手にしていたはずです。誰もが、YESという結論を引き出せる状況であれば、文左衛門が独り勝ちできたはずはないのです。システムがNOという結論を出した状況の中で冒険したからこそ、巨万の富を手中に収めることができたのではないでしょうか。

 

 システムを乗り越えたところで、決断するには“志”が必要です。江戸の人たちにみかんを食べさせたいという純粋な志があったとは思いませんが、文左衛門の心の中に、他の商人とは違う想いがあったはずです。貧乏から抜け出したい。馬鹿にしてきた周りの人たちをあっと言わせたい。どんな志か分かりませんが、必ず志があったと思います。

 今、ITが普及し、膨大なデータを操ることができ、BIによって情報を可視化できるようになってきました。しかし、それはライバルも同じです。ITがもたらす情報は、それはそれとして受け止め、その結果を乗り越える決断をするのは、企業としての志の問題です。志があって、初めてITに活躍のシーンがもたらされます。確率だけではビジネスは継続こそすれ、新たには生まれてこないのですから。

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