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情報格差などがもたらす情報社会の問題について考える

iPadで本当に人は馬鹿になるのか?

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「光の道」対談を読んで-iPadは情報格差を解消するか-でもiPadを取り上げましたが、iPadはいろんな意味で影響力が大きいですね。例えば、以下のようなことが話題になっています。

★iPadであなたはもっと馬鹿になる
オバマ大統領は以下のように発言したそうです。

iPodやiPadをはじめとするデジタル機器のせいで「情報は人々に力を与えたり人々を(抑圧から)解放する道具ではなく、気分転換や気晴らし、娯楽の道具になった。


それに対して、Newsweekの記者は以下のように記している。

私たちがしていないことは? それは「考える」こと。情報を処理してはいるが、考えてはいない。2つは別物だ。

デジタル機器の位置づけが、エンパワーメントからエンターティメントにずれているようである。元々、デジタル機器は、世の中を便利にするためのツールではなかったか?それがいつの間にか、快楽のための、欲求を満たすためのツールに生まれ変わったのだろうか?

この世の中の閉塞感を払拭すべく、華やかなものとしてiPodやiPadを手に入れて、卓越したユーザインタフェースを弄り回して、思うとおりの音楽や画像や動画を表示し、満足したいという潜在的なニーズがあるのだろう。

Newsweek記者の指摘の「考えてはいない」は正しい。もっと正確に言えば、「考えたくない」のである。頭が「考える」ことより、「楽しむ」ことを選択しているのである。それは元々人間が持っている欲求であり、その潜在的欲求をiPodやiPadはかきたてるのだろう。「馬鹿になる」のは、考える力が落ちることであるが、そうではない。単に「考えない」だけである。

したがって、「iPadであなたはもっと馬鹿になる」は正しくない。

正しくは、「馬鹿だからiPadをエンターティメントとして使う」というのが正しい。

賢い使い方をすれば、有効な情報整理ツールとして、情報を知識へと集成・昇華するためのトリガーとして活用できるはずである。iPadは余りにもユーザーインタフェースが優れ過ぎたため、エンターティメント指向が強くなってしまったが、本来は、情報整理ツールとしても強力なツールとなりえるはずである。特にiPadは、「諸刃の剣」である。使う時は心して使いたいものである。

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