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オリンピックはスポンサーのモノである 或いは 開会式がどこの国も同じに見える件

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ソチ冬季五輪が終わったけれど、まだ選手たちの己を磨き、競い合う姿は生々しい記憶として、まだ僕の手の中にある。

 

スポーツ選手にとって20歳代は決して若い年齢とは言えない。

カーリングやハンマー投げなど一部の競技を除けば、選手たちの多くは20代にピークを迎えて30代位には引退する。その短い時間の中に、想像を絶する努力や怪我、挫折そして栄光の瞬間など、凝縮されたドラマをへて競技する姿に感動する。だから、メダルを取った選手、手にできなかった選手を問わず、僕らの心は震えるんだろう。

 

そんな中に水を差すようだけれど、オリンピック会開始式の件。ってのも、今までどの開催国を思い出しても同じにしか見えないんだよね。

大きなスタジアムに巨大な聖火台となるオブジェと仕掛け。ソチであればロシアのブンガクの歴史や宇宙開発...国が発展してきた歴史を、演劇的あるいはマスゲームのようなもので演出される。冬季ではないけれど、直近であれば北京。冬季であればバンクーバーなども同じような演出に思えてならない。要するに少なくとも僕にとっては、ツマラナイ、ということだ。あれなんで、どこでも同じようなことするんだろ?って。

だから、2020年の東京オリンピックの開会式も大体どんな感じか予想できる。

  • 総合演出はきっと宮本亜門氏あるいは、20年までにカンヌかなんかで受賞すれば、宮藤官九郎氏
  • 聖火を灯すためのでっかいオブジェと装置は外せない
  • 音楽はもちろん、坂本龍一氏が最有力だろう。次点はYOSHIKI氏あたりかな
  • そこでの演目は、国威掲揚を誇るような日本の歴史を、ミュージカル風に、歌舞伎・能風に。そして今で言えばプロジェクションマッピングなど最新の技術を用いた演出
  • そして、絶対に外せないのは、大勢の人たちが揃って決まった動作をするマスゲームは欠かせない。
  • フィナーレには花火をバンバン上げる。

面白くもなんともない。特に個人的に僕はマスゲームが嫌いだ。まるで軍隊みたいだから。

そして、都知事となった舛添氏は言った「東京オリンピックをきっかけにして、日本の良さを世界にアピールする機会にし、発展のための起爆剤とする」と。

スポーツ選手への想いは、東京或いは日本の発展に優先される。気にするのはメダルがいくつ取れるか?ってコト位なのかな。

で、僕はようやく気が付いた。オリンピックは選手のものでもなく、僕らオーディエンスのものでもなく、スポンサーのモノだというコトに。

ほー、そうかそうか。納得しました。腑に落ちました。だから前回オリンピックとメダルの数を比較したりするんだな。そりゃ、スポンサーだもん当たり前の心理だよね~って。

であれば、話題になった森元首相の発言も納得である。オリンピックのスポンサーは国またはJOCだから、次の東京オリンピックのスポンサーとして、選手に口出しするのだ。言ってみれば、プロ野球で巨人軍オーナーのナベツネ氏の発言が時折、物議を醸す発言をするのと同じだ。オーナーであるが故に黙ってられない人もいるのだろう

 

フィギュアスケート金メダリストの羽生結弦選手は、帰国後の会見でスケートリンクなどの設備拡充を訴えた。それは、スポンサードされていることを理解し、その力によって競技者達の力は伸ばしたいと思っての発言だ。対照的にスノーボード・ハーフパイプの銀メダリストである平野歩夢は「日の丸を皆が振っていたり、制服を着たりして今までの大会と違うなあと感じた」と言うように、いつもの世界大会と違う、国にスポンサードされた大会について率直に語った。

僕は、スポーツ或いは競技自体は、選手とそれを身近で支えてきた人達のものだと考えている。選手たちのパフォーマンスに対する評価は、メダルの有無を問わず彼らのモノだからだ。僕らオーディエンスはその感動を分けてもらい、それを勇気に変えさせてもらっている。

それとは別に、オリンピックはスポンサーのものである。だから、選手から「メダルを取れなくて日本の皆さんに申し訳ない」「日本のためにメダルを取りたい」といった発言が散見されるのだ。今までスポンサーによって支援されている、という意識があるから当然と言えば当然。

スポンサードされたスポーツが健全なのか、不健全なのか、は分からない。スポンサーによる支援は競技をメジャーにし、競技の底上げがされ、人材も輩出される。その反面。好きなように臨んでいた市井のスポーツは、和気あいあいとしたフリーな雰囲気の中に、オトナが介入してきて、礼儀や服装など窮屈な思いをするかもしれない。

けれど、スポンサーのモノであるものはスポーツに限らない。例えば、このブログメディアもそうだし、出版・マスコミ関連に関してはそれが普通のことだろう。ジャーナリストを自負してその業界にいる人はどれだけいるのか?NHK会長自らが「お上が右というものを左とは言えない」と言う時代だ。

けれど、今回のソチ・オリンピックですごく良いな、と思ったセレモニーがあった。

それは、閉会式の際に国籍を問わず、選手たちが自由に入場する姿だ。

スポーツは選手たちのモノだ。だから、国籍も競技も年齢も関係ない。様々な国の競技者が思い思いに集ってくる姿は本当に気持ちよい。

<了>

正林俊介

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