【日馬富士関が横綱へ!ウィンブルドン現象とディスるなかれ】
»
皆様こんにちは。鈴与シンワート株式会社の正林です。
大相撲会にてモンゴル出身の力士、日馬富士関が正式に横綱になることが決まり、新聞各紙で報道されています。
●サンスポ↓
●スポニチ↓
などなどなどなど・・・
わーいわーい!おめでとうございます!
先の九月場所は全勝優勝、これまでの成績も鑑みて至極当然、妥当なこと決定です。
って、新横綱の誕生に喜んでいる私ですが、これで大相撲の横綱2名がモンゴル出身力士で占めることになりました。
僕は、日本の「国技」たる大相撲の世界に、ダイバーシティ化に進むことに、喜ばしいと考えるのです。
大相撲における横綱とは、力士の頂点であると同時に、神の依り代ともされる存在。すなわち、神様が宿るという畏れ多い存在となったのであります。
昨今、大相撲の世界では外国人力士の活躍が目立ちます。
九月場所番付で言えば、日馬富士を除く大関5名のうち
「琴欧洲(ブルガリア)」
「把瑠都(ブルガリア)」
「鶴竜(モンゴル)」
と実に半数以上が所謂「外国人力士」で占めていて、国技もまさに多様化、ダイバーシティ化の時代とあいなりました。あい。はい。
これを「ウィンブルドン現象」と揶揄する意見もありますが、それをすることに何の意味があるのでしょうか。
ウィンブルドン現象とはウィキペディアにある概要によれば
市場経済において自由競争が進んだため、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されること。
競争により活性化し望ましいという見方と、在来のものが除外され望ましくないという見方がある。
ということだそうです。
ウィンブルドン現象?・・・こんなもんは無意味な雑音、不毛な意見だと僕自身は思います。
言葉、文化など様々な違いがある環境の中でパフォーマンスを発揮することは、言葉にならない努力があったに違いないのです。そんなアゲインストな環境において結果を出し続けた、日馬富士関の快挙を心から祝福したいと思います。
けれど、スポーツやその他、競技の世界は、定められたルールの中で勝負する世界。だからこそ、その中で勝ち残っていくものに平等にチャンスがある。
スポーツの世界で起こることは、後にビジネスの世界に起こる事象、取り入れていく手法となることが多いと思います。例えば、人材育成における手法など。
ダイバーシティ化の必要性については従来から、ビジネスの世界でさかんに言われていることではあるけれど、この点については国技たる大相撲の方がはるかに進んでいる
「横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します」
なんと分かりやすく、心に届く言葉であることよ、と感じたのです。
<了>
-正林 俊介-
SpecialPR