【「原発問題」を見て思うこと、大きな課題ほどシンプルに判断できるはずである】
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皆さん、こんにちわ。オルタナ・ブロガーの正林です。
ここで自分自身の立場を明確にしておきたいと思うのだけれど、僕はこの題名にある「原発問題」を例に個人として思うところを記述するだけです。
この問題に関してあらゆる団体、政治活動・イデオロギーとは無関係です。
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「野田首相が22日、脱原発の官邸前抗議活動を呼び掛けている市民団体の代表者らと面会した」
とのニュースをみて、思った感想です。
推進派、反対派の意見を見聞きするにつけ、正直、推進派の言う論理はわかりにくい。「経済的合理性」や「エネルギーの安定供給」はわかるのだけれど、今、反対派が求めている答えや継続すべき根拠としての回答になっていないように感じたんです。ぶっちゃげたところ。
マスコミが判り難くしているのか、何が問題でどうすれば解決なのか良くわからない。
原発問題だけでなくて、ほかのコトであってもそうだと思うんだけど、「大きな問題ほど解決するための答えはシンプルに導き出せる」もの。当然ビジネスにおいても。
例えば、僕らがアプリケーションを作ったとして
「これは子々孫々100年使わないと爆発するという、重大なバグがある。だけど今のユーザーにとって高性能処理、使い勝手は良いし、機能としてこれ以上のものはない。100年使えば良いのだから大丈夫。すばらしい製品だ」
とは、思わないでしょう。
原発ばかりを例に挙げて、恐縮だけれども「高レベル放射性廃棄物」という数万年とも云われる地下への埋め立て保管をしなければならないものを、稼働していく分増やしていくというエネルギーを今後も継続して稼動していくということに、どういう合理性を見出すのか?
自分の子供に、
「自宅の庭に猛毒を埋めてあるけど”安全”だから大丈夫。オマエの孫の孫の孫の代になれば無毒化するから、これからどんどん庭に埋めていくよ」
って言えますか?僕はぜってー言えない。
「自分の子供にやってあげたいことか?」
ってシンプルに考えれば答えはシンプルで簡単だと思うんですよ。
未来というと漠然としてしまうけれど、リアリティのある例で考えればこんなことを継続することの合理性は見出せない、って普通に考えると思うんです。
以前「歴史の審判に耐える正々堂々の経営を行う」という当社グループの基本方針を紹介したけれど、まさに原発だけでなく全てのビジネスにいえること。
これは、普遍的な判断基準、行動規範じゃないかと、こんな僕ですら思うんです。
<了>
-正林 俊介-
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