たとえて言えば「自分のことや世界のことを考える時間」
以前、とある人にいわれた言葉にこんなのがある。
「一日30分、自分のこと、自分の周りのこと、
自分の国のこと、世界のことを考える時間を持ちなさい」
確か学校を出たての頃だったと思うが、
痛く感動したことを覚えている。
そのときは若かったせいか
具体的にどうしてその言葉に感動したのか
よく分からなかったが、
そのときの僕は
直感的に感動していたのだと思う。
「感動」という言葉が適切なのかよく分からなくなってきたが、
それ以来意識的にそういう時間を持つようにしている。
それもある種の感動か?
今実際の生活に当てはめて考えてみると
一日30分ってすごく長いような気もするが、
そのくらいの時間を割いてみてもいいテーマなのではないだろうか。
だって、自分やその周りのことや世界のことなのだから。
重要である。
少々話は飛ぶが、
物事には実地訓練が必要なことと
イメージすることが重要なことと二通りあると思う。
「一日30分、自分のこと、自分の周りのこと、
自分の国のこと、世界のことを考える時間を持つ」ことは、
イメージすることの訓練になる。
フィジカルな熟練や規則に沿った設定作業なんかは
実地が必要なものであり、鍛錬や訓練をうけることにより習得していく。
イメージすることはいろいろな場面で必要になるが、
それに関する実地訓練のクラスを開催するのは基本的に難しい。
たとえば人との対話において、
「こう言ったら相手はどう思うだろうか?」
と想像することは非常に重要なことだが、
それを授業で教えることは難しいと僕は思う。
イメージは無限なので当然ケーススタディでは対応しきれない。
ケーススタディを超えたものがイメージの世界であるといえるかもしれない。
言葉遊びみたいになってしまうが、
イメージ(想像)することが創造することにつながることは疑いようがないのである。
そしてイメージしたことを飛躍なく伝えることがまた難しいのである。
その能力というのはある程度実地を経て身につくところもあるのではないだろうか。
取り止めがなくなってしまったが
・イメージする習慣を持つこと
・空想ばかりに浸らず実地も続けること
・両方を踏まえてイメージしたことを飛躍なく伝えること
とても重要なステップだと思う。
ところで、今気がついたけど、
「一日30分、自分のこと、自分の周りのこと、
自分の国のこと、世界のことを考える時間を持ちなさい」
って、これ誰が僕に話してくれたのだったかな?
記憶力というのは
実地ともイメージともちがう要素として重要である。