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会社がなすべき当たり前のこと、人がなすべき当たり前のことでありながら、多くの人ができていないことを、いかに行うかを考えるきっかけになればと思います。高杉晋作の辞世の句でもある「おもしろき こともなき世を おもしろく」をブログ名に、日々普通に起こっている会社や社会での出来事を、いかに考え対応すべきかという視点で書いていきたいと思います。

社内の争いほど、醜く、くだらないものはない

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昔いた会社であったことだが、
結構どこの会社でもあることなのだと思う。

-人の足を引っ張る組織-

ある取締役のAさんが、別の取締役のBさんの足を引っ張ろうとする。

何をするのかというと、

"Bさんが、会社の悪口をこんな風に言っていたらしい"
"Bさんが、会社の方針について、こんな風に反対していたらしい"

という、あたかも人に聞いたかのように噂を流すのだ。
もちろん、実際には自分で噂を流しているのだ。

例えば社長が、ある社員一人だけからこういう話を聞いたら、
「本当かな?」
と思うだけ。
噂にされている人に信用があれば、
「そんなことはないだろう」
とまで思ってくれるだろう。

しかし、そういう話が風聞として、様々な人から耳に入ると、
あたかも本当のように思えてくるものだ。

詳しくは覚えていないが、中国の話でこういうものがあった。

"母親が村人から、息子が殺人を犯したと聞いた。
母親は「あの子にかぎってそんなことはしないはず」と
信じなかった。
2人目の村人からも同じ話を聞いても信じなかった。
親子の愛情は深い。
しかし、3人目から同じ話を聞いたら、
その母親は、そのまま逃げ出した"

という話だ。
血を分け合った親子でさえ、
噂だけでこういうことになり得るということだ。

さて、元の話である。
全く身に覚えがないBさんは、
「そんなことは知らないよー」
と全く無視をしていたが、
その噂をいろいろなところで聞くようになると、心中穏やかではなくなる。
そのうち、社長から呼び出されて、
「本当か!!」
と詰められる始末。
「いえ、本当ではありません。全く身に覚えがありません」
と答えても、社長はもうかなり噂を信用してしまい、
社長の中でもBさんへの不信が増大する。

数学の証明でも難しいのは、
ある(存在)こと"を証明するのは、結構簡単だ。
ただ1つの事例をあげればいい。
しかし、"ない(不存在)こと"を証明するのは、かなり難しい。

Bさんは、何を言ってももう誰も信じてくれない状態だ。
その後、やはりBさんは会社に居づらくなって、辞めてしまった。
Aさんの完全勝利だ!


-人間はどう物事を考えているのか-

これは、かなりレアなケースなのかもしれないが、
会社の中での足の引っ張り合い、社内に敵を作るということは、
大きな会社だけでなく、比較的小さな会社でもあるのではないだろうか?

それぞれ個別の人の身になって考えてみると、
(わかりたくもないが)わからないでもない。

"より出世するために人を蹴落とす・・"
"自分の思うようにするために、反対する目の上のタンコブを放り出す・・"
"方針に納得いかない"
"とにかく気に入らない"・・・

つまりは、自らの欲のためにやっていることに間違いない。

しかし、少し違う角度から見てみると違うものがみえる。
会社というのは、利益目標だったりシェア目標だったり、
目標があり、それに向けて売上をあげて、利益をあげる組織である。
社内にいる人は、その目標を達成するために、力を合わせる。
これが、本来あるべき姿である。

あくまでも、理想の、あるべき姿なのかもしれないが、
それぞれの心の持ち様ではないかと思う。

"敵だと思っている同僚も、会社のことを考えて、反対意見を言っている"
"自分のことを会議でボロクソに言った人も、会社の目標のために、よりよい施策を考えてやっている"
"会社のためには違った意見があって然るべきだし、いいことだ"

決して敵ではなく、自分とは違った角度で物事を考えて発言していると考え直せば、
そんなにアタマにくること、怒るということはないのではないか?


-「小知」を超えて「大知」を目指すということ-

荘子は、そんな愚かな我々に言う。

『小知を超えて大知を目指すことだ』

「荘子は、世間でもてはやされる知識や能力は、しょせん「小知」にすぎないという。
そんなものを持っているから、いたずら人間を傲慢にし、他人を見下し、いさかいが絶えなくなる。
その結果、人を傷つけ、我が身を破滅させることになりかねない。
「大知」を身につければ、すべてのものをあるがままに受け入れて、
みだりに小細工を弄さなくなる」・・という。
参考・引用
『荘子の人間学』守屋洋 日経BP社

「荘子」の人間学

ありもしない噂を流すというのは、いかにも小細工だ。
人は、それぞれ違う視点、角度から物事もみる。
だから、どんな人の意見も一度は受け入れて、消化し、
その上で、最適な解決策をみつけ、目標に向かっていく。

こんな見方ができれば、
社内のつまらない"いさかい"などなくなるのではないだろうか?

何を隠そう、私もその種「小知」しか持たない人間だ。
しかし、何とか「大知」を持つ人間になりたいと思っている。
私はいつも、怒りや不満がアタマに浮かぶと一呼吸置くことにしている。
人はそれぞれなのだ。
確かにAさんのように悪意の塊のような人もいるかもしれない。
それでも、Aさんを理解した上で、次の言葉を発言することにしている。
一呼吸おくことで、全く違った言葉がアタマにできあがる。
少しずつ「大知」を持つ人間に近づければ嬉しい。

自分の中で、こういう思考方法が癖になってくると、
社内の不平不満やいさかいなどは、ほとんどくだらないことにしか思えなくなる。
こういうときに、少しだけ思おう。
「自分は少しだけ大きな人間になった(かも)」と・・・。

ちなみに、取締役AさんはBさんを追い出すことには成功したものの、
違う人に同じことをされて、同じく追い出されることになった。
因果応報。
我が身を破滅させることになったようだ。
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