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ヤルキ、ゲンキ、ユウキ、ホンキ、○○○、あなたは5つ目に何を想像しますか?あと素敵なタイ旅行は好きですか?

仮想的外こもりで切り抜けるコロナ渦

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コロナ渦がコロナ鍋に見えてしまう今日この頃。
みなさんはいかがお過ごしだろうか。

いや、まさかこんな事になろうとは。
タイ、ラオス、ミャンマー、フィリピン、中国で過ごした日々はここ数年の話なのに、まるで遠い昔の出来事のような錯覚を覚える。

旅好きの人達にとって、コロナ渦のモグラのような生活はまるで地獄だろう。
空港に着いた途端に漂うその国特有の匂いは、まるで故郷に帰ってきたかのような錯覚を思わせた。東南アジアへ行くと生ぬるい空気と共にその国の匂いを感じてなぜか安心するのだ。

市内に入れば、まるで進まない渋滞を横目に屋台で飲む氷入りのビールが忙しない日常を忘れさせてくれた。東南アジアは身近な唯一の楽園だった。
しかし、新型コロナウイルスの出現によって果てしなく遠い世界になってしまった。

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かなり昔に「外こもり」というワードが流行った。

日本から出て物価の安い東南アジアにこもって、日本社会から離れようというような趣旨だったと思う。

たしか、下川 裕治さんの「日本を降りる若者たち」という本が出た前後の言葉だったと思うから、2007年前後の流行語になると思う。今から約16年前だ。


外こもりには様々な過ごし方があった。

日本で短期アルバイトをして貯めた小銭を握りしめて東南アジアで金がつきるまで堕落しきった生活をする者。

日本の忙しすぎる社会についていけず精神を病んでリハビリを兼ねて東南アジアでのんびりする者。

日本に居る間は値段が高くなった煙草を出来るだけ我慢し、連休が来るたびに東南アジアへ旅行してヘビースモーキングを存分に楽しむ者。

フィリピンパブやタイパブで知り合った女性を追いかけて東南アジアに消える者。

定年退職して第二の人生として東南アジア移住を選ぶ者。

外こもりの例を挙げれば切りがないが、東南アジアに逃避するという意味以外は明確な定義はなかったと思う。


外こもりは「沈没する」とも表現された。
外こもりで全財産を使い果たし行き着く所まで沈没をしたとしても、いつでも浮上出来るという根拠もない微かな自信だけが頭の片隅にあった。

沈没しながらも、自分は日本人であるという意識が常に脳裏にあり、この先何も考えずに生きていったとしても、日本へ戻れば何とかなるだろうと考えていた人が多かったように思う。

出来るだけ日本社会に干渉されたくないが、困った時は日本を頼れば良いという都合の良い考え方だったように思う。しかし、だからこそ東南アジアという半ば未知の世界で暮らすという冒険が出来たのだ。

日本を避けて生きていきたいという気持ちは、日本の安定的な経済力が生み出した副作用かもしれない。頭では日本は過ごしやすい事が分かっているが、片時も緩まない緊張した社会では心の安らぐ場所が無かった。

だから日本に適合できない者たちは、格安航空券を握りしめて東南アジアへ逃げた。外こもりの最中は先の事はまったくと言って良いほど考えなかった。とにかく流れに身を任せた。


コロナ渦では、将来の先のことばかり考えて不安になる。
気付けばあれほど社会問題として取り上げられていたニートという言葉もあまり聞かなくなった。社会全体がニートのような生活になろうとは、誰が想像しただろうか。

外こもりでは先の事をほとんど考えないで過ごした。コロナ渦では先の事ばかり考えて気が病む。この違いはなんだろうかと考えて気付いたことは、コロナ渦では逃げ場がないということだった。

外こもりでは日本から東南アジアへ逃げ出て、日本へ逃げ戻ることも容易だった。
しかし、コロナ渦では家の中以外に逃げ場がない。

家庭がある人は家の中にすら逃げ場がない人がいるかもしれない。
逃げ場がないと、この先の事ばかり考えるようになる。

人間にとって、将来のことばかり考えることは苦痛なのかもしれない。
そうかと思えば、今度は過去の後悔がフラッシュバックして苦しくなる。

逃げ場がない状態というのは相当苦しいことだと最近思い知った。
聞く所によると、刑務所とは人間にとって最も苦痛な場所であり、だから刑として成り立つらしい。今、僕らは実感を持って刑務所に近い体験をしているとも言えるかもしれない。


コロナ渦の終わりはまだまだ見えない。

集団免疫は国民の6割以上がワクチンを接種しないと機能しないようなことが書かれた記事を読んだが、そう考えれば気軽に海外へ行けるようになるのは年内は難しいかもしれない。

しかし、必ず昔のように気軽に海外旅行が出来る日が戻ってくると信じたい。

その時までに仮想的な外こもりの方法としてFacebookを使う事を提案したい。
日本ではFacebookはレガシーに近いものがあり、もはや使っていない人が多いと思うが、海外では未だに主流なSNSだ。

旅行が好きな人なら海外の友人とFacebookで繋がっているだろうから、その人のフィードに流れてくる何気ない写真が癒しになることは間違いない。

ひょっとしたらタイ人がFacebookに載せたタイ料理の写真でタイ料理屋へ行きたくなるかもしれないが、せっかくならタイ料理を家で作ってみると良いだろう。そしてその写真をFacebookに載せればたくさんの人が反応してくれるだろう。

Instagramでも海外の友達と交流できるが、文章が少なく写真の一コマしか旅の感じを味わえない。そうすると、あまり刺激にならない。Facebookの方が写真と共に説明が書かれているし自分の友達だけの情報だけが流れるので気軽に交流できるし、旅しているような別世界の没入感も強いと思う。

もしくは、旅のエッセイ本を買って読むのが良いかもしれない。
行ったことのない国、行ってみたい国の本を読んで想像を膨らませておけば、コロナ渦を抜けた後の楽しみは高くなるはずだ。
希望を持つことにもなるし、やる気が湧くかもしれない。

ブックオフなら安い旅のエッセイ本がたくさん並んでいる。
本を探している時間もワクワクして楽しめる。

僕は、人生の歩み方は東南アジアで学んだといっても過言ではないと思う。
言葉は簡単に通じないが、しかしジェスチャーなり顔芸なりで心は通じる。
危険かと思えば、以外と安全な世界がある。
かといって舐めてかかると痛い目に合う。

東南アジアにいる間は、人生のストーリーを自分で描いている感覚があった。
そこでは日本で培った問題解決方法のほとんどが役に立たなかった。
言葉も通じない危機的状況の時に、変幻自在に対応できる能力が人生で最も大切な事かもしれないと気が付いた。


コロナ渦でも臨機応変に対応する力が試される。
時が止まっているような錯覚を受けるが、時間は人類に平等に進む。

今は残業やテレワークが減り、各々が自由に使える時間はコロナ渦前より増えているはずだ。その時間を使って普段は出来ない体験をしてみるのが良いと思う。それがあなたの未来の強さに繋がる。

例えば、テレワーク中なら行ったことのない街でウィークリーマンションを借りて住んでみたり、その部屋にある快適なベッドに横になりながらスティーヴン・セガールの沈黙シリーズDVDを全巻見てみるとか、そしてそのチート並みの圧倒的な強さに触発されて格闘技を習ってみたりすると良い。

ちなみに、僕はコロナ渦を機にオートバイを購入した。
人混みを避けてこれから色んな日本にある名所や東南アジアっぽい場所?へ行ってみようと思う。きっとヘルメットの中で喋る独り言は最高だろう。


皆で必ずコロナ渦をくぐり抜けよう。
そして僕は、必ずまた東南アジアへ行く。

きっと2、3年後には今を思い出しながら、昔と変わらない渋滞を横目に街角でビールを飲んでいるに違いない。それが今一番の未来の希望である。

そこでまた、世界の皆と会いたい。

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