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参謀任せの太っ腹リーダー像と訣別したい ── 『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』を読んで

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昨年12月に行われた衆議院総選挙では党派がすごく分かれてしまい政策が分かりづらい様相となった。そのためか党首が誰か、どんな人かということが相対的に強く印象に残った。政策は大事だが、それ以上に党首の人柄や能力のほうが気になった選挙ではなかっただろうか。政策の違いが分かりづらかったことで余計に党首像が目立ったのだ。

とくに気になったのは「この党首は官僚の言いなりにならない人だろうか」という点だ。政策の是非よりも、こういう目線で選挙を見ていた人は私以外にも多いのではないだろうか。

どうしてこんな話しをしたかというと、私たちはリーダーの選び方を変えなくてはいけないと感じていたからだ。

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日本型リーダーはなぜ失敗するのか
半藤一利(著)、文春新書


著者の半藤さんによれば、私たちのリーダーは、リーダーの仕事を参謀に任せてしまう悪い傾向があるらしい。政治の世界でいえば、政治家(=リーダー)が、本来自分がすべき仕事を官僚(=参謀)に任せてしまうということだ。

半藤さんはこれを端的に「参謀任せの太っ腹リーダー像」といっている。極論すればリーダーには人徳や威厳のみが求められ、情報収集や決断、目標設定などの重要な仕事は「細かいことは君たちに任せる」式に参謀に預けられてしまうということだ。

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参謀任せの風潮が日本に生まれたのは西南戦争(1877年)がきっかけらしい。西南戦争では、政府軍の指揮官・山県有朋がいちいち作戦の指揮を政府に打電して許可を求めて苦戦を強いられた。これが反省になり、山県有朋は作戦を司る参謀本部を政府から切り離して創設し、自ら参謀本部長に就任した。

以後、参謀本部には優秀な人材が集められ、このしくみは日露戦争、太平洋戦争へと続く。「参謀に任せておけば大丈夫」という風潮はこうした由来で続いてきたらしい。

しかし本書は、310万人もの方々が亡くなった太平洋戦争を反省に、こうした参謀任せにするリーダーがいかにダメなのかを厳しく指摘している。

ご周知のとおり「参謀に任せておけば大丈夫」は、実態は「参謀に牛耳られてしまう」となる。参謀というのはそもそも地味な存在であるべきはずなのに、優秀さは逆にリーダーを操る影響力を持ってしまうようだ。

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これは日本のリーダーの問題として捉えなくてはいけない。本来、参謀は補佐として使うにとどめ、影響力を持たせてはならないのだろう。それほどまでに、日本のリーダーは指揮能力的に無力化する傾向がある。

そして現在にいたっても、私たちは参謀任せのリーダーを選ぶ傾向があり、太平洋戦争の大きな失敗が反省されていない。

リーダーの問題でありながら、結局は私たちの選び方の問題が問われているのだ。リーダーをリーダーとして認める心があるのかという問題だ。

ふと自分の心に問うてみたい。私たちは自分の居心地が良いようにリーダーを選ぼうとしていないだろうかと。参謀だけが横着者になっていくのではない。横着な参謀の心を誰しもが持っているのではないだろうか。


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