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夢は大事だけど「追いかけるな」

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どんな組織にも、夢やビジョンは大事だと思います。会社という単位だけでなく、チームや国という単位でも、また個人においても夢を持つことは大事です。でも反面、人から夢を聞かされると「大丈夫なの?」と感じてしまうこともよくあります。

私たちは課題出しをするときによく、To be(あるべき姿)とAs is(現状の姿)を対照的に描きますが、As isの認識が危ういとそう思うわけです。To beとAs isのいずれも大事ですが、現実問題としてしっかり考えるべきはどちらでしょうか? 私は圧倒的にAs isの認識のほうが大事で、こちらにたっぷり時間をかけるべきだと思っています。人様に聞かせるときは反対にTo beのウェイトが高いかもしれませんが、内省に時間をかけるべきはAs isではないでしょうか。

追いかけるのは"未練"

最近伊集院静氏が書いた『追いかけるな』(講談社)にも書かれています。伊集院氏といえば、マッチこと近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」の作詞などでご存じの方も多いと思います。

追いかけるな.jpg

追いかけるな 大人の流儀5
2015/11/17 伊集院 静 (著)


そのあたりのところを紹介します。

追いかけるな。

私はこれまで、何かを必要以上に追いかけたことは一度もない。
(中略)
追いかける、という行為が、私には"未練"に思えたからだ。
追いかけないのは"未練"もあるが、私が自分の足下を見てきたからである。、
今、自分がこうして、ここに立ち、生きている理由を考えるからだ。
私の両親は、私を、つまらぬことを追いかけるような大人の男にするために、産んで育てたのではあるまい、と常日頃考える。

伊集院氏は「追いかける」行為を未練と捉えていますが、夢やビジョンの語りにもそういうところがあるのです。未来を考えているようで実は過去へのしがみつく気持ちや取り返したい気持ちが勝っている気持ちが出てしまうことがよくあるからです。

本当に大事なのはそこじゃないでしょう、と。
こんなことは親しい人にしか、面と向かっていえません。否定するつもりはさらさらないからです。

虚しく生きて実ちて帰る

本当に大事なのは、足下の虚しさを自覚することではないでしょうか。本書の第四章「生きるとは失うこと」に「孤独が人を成長させる」という段落があります。平安時代に日本に密教をもたらそうと中国に渡航した空海(通称弘法大師。密教の一つ、真言宗の開祖)が言った言葉が引用されています。

虚しく生きて実ちて帰る (むなしくいきてみちてかえる)

これは空海が九州の太宰府に着いて海をみながらつぶやいた言葉だそうです。名もなき僧だった自分が、今は密教を修めてこうして日本に戻ってきたと。当時、空海が師事した和尚には弟子が五、六千人いましたが、空海は抜きん出た存在だったそうです。和尚からその成果を認められ「一刻も早く日本に帰って人々に教えよ」と下命されて帰国したのです。真言宗はここから始まるのです。

伊集院氏はこう解説します。

"実ちて帰る"はどうでもよくて"虚しく"のこの不安と孤独こそが人間を成長させる原動力であり、必須条件なのである。
その証拠に空海は"虚しさ"の幅が人より何倍も大きかったから、人間業とは思えない能力を発揮して、密教をただ一人伝授されることができたのだろうと、私は考える。


自戒を込めて思うのですが、起業家や経営者の方で足下の虚しさを本当に自覚している方はこの日本にどれだけおられるでしょうか。政治家なども孤独な職業の最たるものだと思います。その立場に就いてはじめて自覚した、というのでは遅すぎ、失格ではないでしょうか。同情しますが明るくふるまって孤独を紛らすのはあまりにも痛々しい。これから何かを為そうと立ち上がれる方にはぜひお読みいただきたい一冊です。

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