過剰適応のリスクが市場側にもあることをクローズアップさせた「ゲーミフィケーション」
最近、実社会へのゲームの浸透がめざましい。ゲームがオンラインで携帯に提供されるようになったことをはじめ、SNS上でもゲームが広く楽しまれるようになった。
それだけではない。ゲームの面白さの要素が、日常生活の、例えば歩くことや、体重を量ること、あるいは選挙活動に参加するといったことなどにも、入り込んできた。この動きは「ゲーミフィケーション」と呼ばれ、参加者の関与を引き出す方法論としてビジネスの世界でも注目されるようになってきている。
ゲーミフィケーション ― <ゲーム>がビジネスを変える
井上明人(著)、NHK出版から
著者の井上氏によれば、「ゲーミフィケーションとは、(狭義には)コンピュータ・ゲームのなかで特徴的に培われてきたノウハウを現実の社会活動に応用する行為のこと」である。ここに「狭義には」とあるように、解釈のしかた次第で昔から存在している多くのものまでゲーミフィケーションに思えてしまうので注意が必要だ。
例えばポイント制はゲーミフィケーションか? これはゲーミフィケーションではない。金銭や金銭に準じた報酬をポイントとして受け取れるしくみは、外発的動機を刺激する。主たる動機が外発的動機に終始してしまう(内発的動機に転じていかない)ものは、ゲーミフィケーションではない。──つまり、ゲーミフィケーションには外部から何らかのしくみを提供しつつも、参加者が内発的動機を刺激されて参加し続けるようになるような設計要素が必要だということだ。
こうして考えていくと、ゲーミフィケーションは、商品やサービスの利用者を増やしたり利用を継続してもらうための巧妙な、ある意味安価な仕掛けを入れる概念だということが見えてくる。この概念を拡張すれば、どんな商品・サービスにも、あるいは企業内で行われているどんな仕事にも、ゲーミフィケーションの考え方を取り入れる可能性があるのではないかと思えてくる。
ユーザーの“物語”や“体験的価値”の重要性を訴えてきたマーケターにとってゲーミフィケーションは有効な解決方法になるだろう。また見方を変えれば、組織の管理者や人事担当者にとっても、社員のインセンティブや報酬の新しい提供手段として、ゲーミフィケーションは注目されるようになるだろう。
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本書は併せて人間側の、ゲーミフィケーションの適応限界についても論点を投じてくれている。かつて社会問題としても取り上げられた“ゲーム脳”のように、ゲームに興じ続けるあまり、社会生活全般への適応が阻害されてしまう現象だ。
こうしたゲーム脳や或いはゲーム依存症の問題は、ゲーミフィケーションの設計のあるべき指針のようなものを深く考えさせてくれる。つまり利用者がサービスに夢中になり過ぎてサービスに支配されてしまったかのようになることは「果たしてゲーミフィケーションとして成功したといえるのかどうか」である。──過剰適応のリスクは利用者側にだけでなく、サービス提供側にもいずれ何らかの形でふりかかるのではないかと思うからだ。
割と古くから知られた事業リスクの一つ「過剰適応による破綻」は、これまでは原因も結果も事業者側で完結した問題としてとらえられてきたが、どうやらそうではなさそうになってきた。過剰適応の震源が市場側に存在するという点で、ゲーミフィケーションは事業のリスク管理に新しい懸念材料を持ち込もうとしているように思われる。