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本を読んで賢くなる人、バカになる人

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プロセスデザインエージェントの芝本秀徳です。

今日は「本を読む意味」と「本の読み方」についてです。

■ 読書量と能力は比例するか?

読書に関する本を読むと、「能力は読書量で決まる」などといいますね。しかし、現実をみると、「本当かな?」と疑問がわいてきます。

すごく沢山の本を読んでいて、読書量では誰にも引けをとらない。いろんなことを知ってはいる。でも、仕事はいま一つ。周りを見回すとそんな人はいませんか。私がこれまで見てきたなかでも、そういう人は結構います。

一方で、本なんかぜんぜん読まない。逆に「本を読むとバカになる」と公言してはばからない。でも、仕事はよくできる。そういう人も何人も知っています。

これらを考えると、読書量と能力は単純に比例するわけではなさそうです。少なくとも、とにかく本を沢山読めば能力が上がるというわけではなさそうです。

■ あらためて「本を読む意味」とは?

私がこれまで見てきた中で、ひとつだけ言えそうなのは、「本を読まなければどこかで限界がくる」ということです。

本を読まなくても能力が高いという人は、生まれ持った才能、育った環境で培われた能力に頼ってくらしているわけです。いわば、貯金暮らしです。この貯金の額が、ものの考え方の幅であり、できることの幅なのです。

この貯金は減ることはありません。100円あれば、ずっと100円のままです。しかし、そのままだと増えないので、100円以上のものは買うことはでません。

読書とは、この貯金の額を増やす行為だといえます。読書は、それまで培ってきた個人の才能、育った環境による壁をやぶってくれます。100円から200円、300円、やがては1000円、1万円と、買えるものが増えてくるわけです。

何も読書だけが貯金を増やす手段じゃない。そう言われるかも知れません。たとえば「人から学ぶ」こともできます。確かに人から学ぶことも大きい。しかし、自分の周りには、自分と似た考えを持った人が集まります。とういことは、人から学ぶことができるものは、いまの自分の延長線上にあることがほとんどなのです。自分とはかけ離れた考えに触れるのはむずかしい。

しかし、本を読めば、自分とはまったくちがう人間の考えを知ることができます。さらには、もうこの世にいない人の考えすら知ることができるのです。

たとえば、2012年の今に生きる私たちが、二十世紀最大の天才、アインシュタインの考えを知ろうと思えば、本を読めばいちばん安価で、手っ取り早いわけです。

■ 何が差をもたらすのか?

そして、「なぜ本を読んでも、能力が比例していかない人がいるのか?」という話です。

これは本の読み方が悪いのではないかと思います。一口に「本を読む」といっても、一冊の本から得られるものは、読み方によってまったくちがってくるのです。

たとえば、「つまみ読み」です。読書術の本なんかを読むと、「はじめから終わりまで読む必要はない」と書かれてあることが多いですね。しかし、「つまみ読み」で得られるのは知識の断片であり、学びではありません。

本というものは、一冊でひとつの世界をつくっています。読書から学びを得るには、考えさせてくれる本を、1ページ目から、著者の思考をたどり、自問し、最後まで丹念に読む。一冊まるごと「丸呑み」することではじめて、その本の「世界」が手に入ります。

こんな風に考えるようになったのは、実は私も最近のことです。以前は「つまみ読み」でよいと思っていました。しかし、「何か、自分の知識があいまいだな、不安だな」というときは「つまみ読み」していたことに気づいたのです。

本をたくさん読んでるんだけど、なぜか自信が持てない。成果を生み出せていない。そう感じられる方は、冊数を読むより、一冊を丸呑みしてみる。

「一書の人を恐れよ」という言葉もあります。あいまいな百冊分の知識より、確信をもって語れる一冊の知識が勝ります。



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