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なでしこは卑怯か

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オリンピックでの、なでしこジャパンのフランス戦への批判の声が上がっている。

日本経済新聞:引き分け狙い…なでしこ、フェアプレー精神はどこへ

だがひとつ懸念がある。佐々木監督の「引き分け狙い」の発言は、競技を運営する国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会で問題になるのではないか。前述したように、意図的に勝とうとしないことは、明らかにフェアプレーの精神に反している。

 少なくとも、この試合の日本のフェアプレーポイントは大幅に“減点”されたに違いない。悪くすれば、佐々木監督に何らかのペナルティーがあるかもしれない。

 そして私自身は、たとえ準々決勝で勝とうと、そしてたとえ金メダルを取ろうと、この南アフリカ戦でのなでしこジャパンの試合をずっと残念に思い続けるだろう。

 眠い目をこすりながらテレビの前で試合を見守った少年少女たちを含めた日本中の人々を落胆させた罪は、けっして小さくはない。

1位ならグラスゴーへの移動をしなければならず、2位ならカーディフに残って試合ができる。2位になるために引き分けを狙った指示をしたことが、フェアプレー精神に反しているという主旨だ。

■ フェアプレー精神とは部分最適を追求することではない

ここでいうファアプレー精神とは何を指すのだろうか。どんな試合でも、ベストメンバーで最後まで戦い切ることをフェアプレー精神というのだろうか。その理屈が通るのであれば、次の試合のことを考えて、体力を温存したり、選手を交代させることもできなくなる。ルール違反をしたわけでもないのに、「汚名」だの「罪」だのというのは、的外れだ。

もちろん、選手は全力で戦いたいと考えるだろう。それが選手の役割であり、責務だからだ。しかし、監督はそうではない。監督の仕事は、目の前の試合だけではなく、勝負全体に勝つことだからだ。選手と同じ目線では役割を果たすことはできない。

指揮官の仕事は「正しさ」を追求することではない。「勝つこと」「機能すること」を追求することだ。小さな「正しさ」の追求は、部分最適でしかない。

■ 小さな「正しさ」は結局メンバーを窮地に立たせる

これは、プロジェクトの指揮官であるプロジェクトマネジャーも気をつけなければならない。小さな「正しさ」を追求してしまうと、メンバーを窮地に追い込んだり、プロジェクトを燃やしてしまうマネジャーになってしまいかねない。

たとえば、メンバーが出してきた工数見積もりが、少し多いと思ったとしよう。このとき、「他のメンバーはちゃんと出しているのに」と、反射的に再見積もりさせるようでは、プロジェクトマネジャーとして機能するかどうかは疑わしい。

メンバーによっては、少し余裕のある見積もりにしておいたほうがパフォーマンスを発揮することもある。逆に少なめに見積もらなければ、時間を使いすぎるメンバーもいるだろう。メンバーのタイプによって、プロジェクトマネジャーのとるべき対応は変わるのだ。

■ 指揮官は小さな「正しさ」より「機能すること」を

指揮官が優先すべきは「チームが機能するか」「成果が出せるかどうか」であって、「見積もりが正しいか」ではない。理屈として正しくても、それが全体最適に叶っているかどうかは、また別の話なのだ。

小さな「正しさ」は個人の価値観でしかない。指揮官にっての「正しさ」は「機能するかどうか」であって、小さな「正しさ」ではない。ルールのなかで、勝つためにできることをする。それが指揮官の仕事なのだ。

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