ケンブリッジ語録#34「インプットに逃げるな。全力でアウトプットせよ」
僕が勤めるコンサルティング会社、ケンブリッジには、厳しいプロジェクトの現場で生まれてきた「語録」がある。
今回はこれ。
インプットに逃げるな。全力でアウトプットせよ
久しぶりにケンブリッジの全社ミーティングに出た。コンサルタントは普段各地に散って仕事をしているので、月に1回全員が本社に集まりミーティングをする日があるのだ。
ここのところ忙しかったので"久しぶり"の参加になってしまった・・・。のだが、そこで衝撃的な出来事が。
全社ミーティングで質問なし
全社コミュニケーションミーティングの一つのコーナーで、1人の新人が「入社してからのOJTトレーニングで何を学んだか」を発表をした時のことだ。こんなやり取りが・・・。
新人「・・・ということを学びました。僕からは以上です。」
ファシリテーター「ありがとうございました。では、質問のある人は?」
オーディエンス「・・・」
ファシリテーター「無ければ次にいきます。ありがとうございました。」
オーディエンス(パチパチパチ)榊巻「・・・おい待て。質問なしって本気か? 何聞いてたんだ?」
榊巻「・・・無いなら俺が質問する。」
オーディエンス「あ、質問あります・・・!さっきの話で引っかかったんだけど・・・」
というやり取り。これで僕は本当に腹が立った。
発表者に対して質問が無いだと?
①発表に対して質問が無いということは、聞いていた人は100%納得したということか?
そんなことありえるのか?
でも質問が無いということは「アナタの話を100%受け入れました」という事になるはずだ。
②万が一100%納得いったとして、発表者にフィードバックも無いのか?
「ここは良かった」「ここを改善するともっと良くなる」「話を聞いて私はこう感じた」
相手の成長を願えば自然とこうしたフィードバックが贈れるはずだ。
ケンブリッジのフィードバック文化は、「ケンブリッジ語録#9:フィードバックはリボンを付けて、心を込めて贈るもの」で書いた。
それが無いって会社としてアイデンティティーを失っているんじゃないか?
③そもそも、自分がアウトプット(質問やフィードバック)をすることで成長しようという意識はないのか?
その昔、「コンサルタントはアウトプットビジネスである」と大先輩に教えてもらった。
何かを見て、聞いて、クライアントにとって価値のある事をアウトプットするからコンサルタントとして成り立つ。
それが出来ないヤツはコンサルタントじゃない。
今回の様に、誰かの発表や資料を見て自分の思考を言語化することは最高の訓練の場になるはずだ。
もし新人ではなく、自分のクライアントが同じように発表したとしたら、「ノーコメント」と言うつもりなのか?
・最も気付きを与えられ、付加価値を提供できる質問はなんだろうか?
・最も示唆に富み、相手にとって有益なフィードバックはどうすればできるだろうか?
こんなことを考えるべきだろう。これは新人に対してもクライアントに対しても同じはずだ。いや、新人に対して出来ないならクライアントに対してできるわけがない。
質問なしって、こんな最高の「成長の機会」を放棄しているのか?
インプットに逃げるな、アウトプットと向き合え
しばらく全社ミーティングに出ないうちにケンブリッジは腑抜けてしまったのか?
しかし、僕が「何聞いてたんだ?」と憤った直後、ババっと質問やフィードバックが出た。
ああ、いつものケンブリッジじゃないか・・・。なんて思っていたら、そのうち本質を付いた素晴らしい質問が出て、新人にも聞いていた人達にも大きな気付きが生まれた。
そうそうこれこれ。
誰かが疑問を言語化して投げる。誰かが触発されて考えを述べる。ふと本質的な話が出てくる。
「ああ、普段あまり意識してなかったけど今の話って本当に大事だよね」という話が出てくる。
声に出して質問・フィードバックした人はもちろん、その場の全員が、新しい何かを掴んで持ち帰る。
この繰り返しが、会社を作り、カルチャーを作り、コンサルタントを育て、人を育てるのである。
そんな機会を放棄するとは許せん!というのが僕の思いだった。
確かに100人の前で質問やフィードバックをするのは勇気がいる。僕もケンブリッジに入って来た頃、全社員が見る中ドキドキしながらアウトプットしていた。でも逃げてはいけない。ドキドキしながら、それでもアウトプットを仕掛けていく必要がある。
アウトプットが怖いからといって、インプットに逃げてしまってはダメだ。
真面目な人ほどとにかく勉強不足なのでもっとインプットしないと・・・と思うようだ。確かにそれは間違いじゃない。インプットは間違いなく大事だ。
だが、「インプットするのはアウトプットするため」であるはずだ。
アウトプットするから自分の考えが整理されるし、思考の精度が上がる。アウトプットするから動きが生まれ、変化につながる。なにより僕らはアウトプットすることで価値を提供している。
良質なアウトプットを生み出すためにインプットするのである。インプットは目的じゃない、手段だ。
ところがどうしても、「アウトプットするには未熟だから、とにかくインプットを」という思考になるようだ。僕から言わせればアウトプットから逃げているだけだ。そんなことではいつまでたってもアウトプットできるようにならない。
アウトプットすることで変換能力を鍛えよ
見方を変えると
「インプット×変換能力=アウトプット」
という構図が成り立つ。アウトプットを軽視する人は、「沢山インプットしておけば変換力を鍛えておかなくても、いつか突然良質なアウトプットができる」と考えているのだろうか? もちろんそんな訳が無い。日々の訓練がこの能力を鍛えてくれる。
新人の発表に対して質問するというのは、自分の変換能力を鍛えることに他ならない。そして、他の人がした質問やフィードバックを聞くのはインプットを増やすことにもなる。
あなたがアウトプットすることは、すべてを好循環させる最初の一歩になるである。だから、しっかりアウトプットして欲しい。
これが僕が憤った理由だ。
このブログで僕は全力でアウトプットした。
さて次はアナタの番だ。「全力でアウトプットせよ」