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オマージュされるアーキテクチャー(後編)[アーキテクトに求められるもの]

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前回は両作品の基本構造を見ました。今回は、両作品の構成要素に対して、太宰治と伊坂幸太郎が、どのような言葉を使って作品を作り上げたのか、比較しながら見てみたいと思います。

なお、伊坂幸太郎は文庫本に収録されているロングインタビューの中で、担当編集者から来た最初の話は、未完のグッド・バイを完結させないか、という提案だったと言っています。それに対し、

「グッド・バイ」の設定を踏まえた上で、僕なりにまったく新しい小説を書くのならできるかな

と。ただ、脱稿してからしばらくして、改めて「グッド・バイ」を読み返してみると、明らかに影響を受けているのが自分自身でもよくわかった、とも。それだけオリジナルの設定がインパクトのあるものなのかも知れません。

構成要素「グッド・バイ」
(太宰治)
バイバイ、ブラックバード
(伊坂幸太郎)
愛人と別れる必要性の明示 "全部、やめるつもりでいるんです。しかし、それは、まんざら嘘で無かった。何かしら、変って来ていたのである。終戦以来、三年経って、どこやら、変った。" "<あのバス>で連れて行かれる前に、 何人かの女性たちに会わせてほしい、と頼んだ時、繭美は、「お別れの挨拶なんか意味ねえよ。おまえがいなくなって、はじめは寂しがるかもしれないけどな、そのうち忘れるぞ」と断言した。 それでもいいから別れを言わせてくれ、と僕は頼んだ。"
男の人物像 "案外、殊勝な事を言いやがる。もっとも、多情な奴に限って奇妙にいやらしいくらい道徳におびえて、そこがまた、女に好かれる所以でもあるのだがね。男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しいと来たら、そりゃ、もてるよ。当り前の話だ。" "「そういうところは律儀なんですね」廣瀬あかりはどの程度の敬語を使うべきなのか悩んだ。一方で、自分の非を認め、謝ろうとする態度に好ましさを覚えている。"
各愛人の人物像 "物腰がやわらかで、無口で、そうして、ひどい泣き虫の女であった。けれども、吠え狂うような、はしたない泣き方などは決してしない。童女のような可憐な泣き方なので、まんざらでない。" (ここはこれから小説を読む方のために記載なし)
妻役の女性 "とんでもないシンデレラ姫。洋装の好みも高雅。からだが、ほっそりして、手足が可憐に小さく、二十三、四、いや、五、六、顔は愁いを含んで、梨の花の如く幽かに青く、まさしく高貴、すごい美人、これがあの十貫を楽に背負うかつぎ屋とは。 声の悪いのは、傷だが、それは沈黙を固く守らせておればいい。使える。" "こんな女、と呼ばれた繭美が嬉しそうに声を立てる。彼女は慣れている。外見により恐れられたり、軽侮されたり、もしくは敬遠されることに、だ。「慎重が百九十センチ、体重は二百キロあるんだ、でかいだろ」と彼女は初めて会った時、聞いてもいないのに、言った。"
別れの場面 "それが、いきなり、すごい美人を連れて、彼女のお店にあらわれる。 「こんちは。」というあいさつさえも、よそよそしく、「きょうは女房を連れて来ました。疎開先から、こんど呼び寄せたのです。」" "「あれも嘘だったということね」"
別れるために用いた手段 "「(中略)すごい美人を、どこからか見つけて来てね、そのひとに事情を話し、お前の女房という形になってもらって、それを連れて、お前のその女たち一人々々を歴訪する。効果てきめん。女たちは、皆だまって引下る。どうだ、やってみないか。」" "「わたしと結婚するって言えば、みんな納得するだろうよ」"
"「相手の女たちもね、 こんなわたしみたいな、でかくて、国籍不明の女と結婚しようなんて思う男にこだわるわけがないんだよ。プライド的にも許せない。そうだろ」"


伊坂幸太郎は、グッド・バイの基本構造を踏まえながらも、センスある言葉を用いて見事に独自の世界を構築し、小説を完結させています。
「バイバイ・ブラックバード」表紙

私がこの2つの作品に共通して好きな点は、愛人一人一人との唐突な惜別というお互いの感情の入り乱れる状況の中、新たな女性との不謹慎かつ滑稽なコミュニケーションが止むなく発生し、愛人も巻き込まれて、軽妙に話が展開され、目的が達成されていく、という全体を通して流れる言葉の脈です。そして、どの人物も好感が持てる。

読後に、両作品から同じような感想を持てることが、オマージュ作品と位置づけられる由縁なのだと思います。前回のように基本構造を明らかにしただけでは、見えてきません。


オマージュされるアーキテクチャーとは

オマージュされるアーキテクチャー。ITの世界では、業務の必要上、自分たちが作成したアーキテクチャーが踏襲されることはあるかもしれません。

ただ、自分たちがどのような状況の中でどのような考え方とプロセスを持ってそのアーキテクチャーを策定し、そのアーキテクチャーに基づいて最終的に実現された対象への支持を受けるところまでたどり着かないと、オマージュされるアーキテクチャーとして認められるのは難しい。

視点を変えると、オリジナルを超えた新しい価値を提供するシステムを実現するためには、適用するアーキテクチャーだけを見ていては足りないのだと感じています。
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