あらたにすって早口言葉か何かですか?
人間誰しも、人に言えない性癖を持っていることは多くの方の同意を得られるのではないかという気がするが、かくゆう自分も、たまに自分の名前をググってみたくなるという一般人からしたら奇妙な性癖が露呈することがある。
と、まぁそんな与太話はどうでもよくて、まぁ単純に「にす」でググってみたら「あらたにす」とかいうのができてましたー、ということが伝えたかったのだけど、これってどうなんですかね。発音しようとして「あたらにす」とか「あらた……ガブッ」とか舌かんだり、ついでに口内炎ができたりしたのでもう勘弁してください。
朝日、日経、読売が協力して立ち上げたこのサイト。何となく朝日の意向が強そうなサイト構成になっているのはともかく(どうでもいいけどサイト上の並び順も朝日が左で読売が右とか意図的すぎ。きっと50音順ですよね、ね?)、幾たびもネットに打って出ようとして失敗(言い過ぎかな)してきた反省があまり生かされていないような気がするのだけど。
それ何てGoogle News? なのがあらたにすという印象。強めにdisればGoogle Newsの劣化コピー。Web2.0だ何だ言われている中にあって、いまだに メディア>ユーザー というスタンスが無意識にせよ強く出ちゃっているのはどうなのか。
ここまで書いて、「結局のところネットユーザーの多くは自分で情報を取捨選択できない。自分はできると考えているユーザーでもその大半がそういう幻想に陥っているだけ。だからコンシェルジュ的に情報をフィルタしてあげることは重要なのだ」と話す社長さんがいたことを思い出した。ネット上でコンシェルジュ的な存在の必要性は否定しないし、あらたにすで言えば「新聞案内人」がそれに近いのだと思う。読み方というか、記事を読んでこう考えると新しい発見につながるかもよ、的なコンシェルジュは、未知の分野へ足を踏み入れる際の水先案内人としてはありがたいのだけど、別にそれは自分が思考停止に陥りたいからではない。あらたにすを見てると、「思考停止しててもいい、うちを見ていてくれれば」という世界に閉じてしまいそうで、そこが気持ち悪さを感じるところなのかも。
まぁ劣化コピーゆえに情報量の多さに閉口しているユーザーからするとちょうどいい腰掛けになるかもしれないけど、腰掛け以上にするだけの付加価値も求められている気がする。まぁとりあえず、記事のページビューランキングくらい公開してみるといいんじゃないですかね。