愚直に歩きたい
「愚直」という言葉は、悔しいけど、好きだ。
ある日、買い物をしてレジに並んだ。100円のブロッコリーとほか2点。レジのお姉さんはブロッコリーをビニール袋に入れたらチェックを忘れてしまったようだ。500円を超えるはずの金額なのに、「4xx円です」と言われて少し戸惑った。おかしい。私の計算が間違っていたのか、いやたぶん違う。500円玉を出し、(もらうはずのない)おつりを受け取る時に素早くレシートに目を通し、その場で「お姉さん、ブロッコリーが入ってないかも」と告げた。
こういうのは愚直というよりは「バカ正直」というのかもしれない。ただ気がついてしまうと、言っておかないと後から気持ちが悪いのだ。単にそういう性格だ。たかだか100円、ではあるが。
前にCSI:Miamiを見ていたら、こんなシーンがあった。悪者が「いざという時に助けになるのはカネだ」と言い、主人公のホレイシオが静かに反論した。「違う。誠実(honest)に生きることだ」と。記憶が多少間違っているかもしれないが、カネよりも誠実さのほうが危機の時に役に立つというセリフは印象的だった。まさにそうだと思う。
愚直とか、正直とか、誠実とか、まっすぐとか、「そうすればいつか報われる」かのような教えはあまり信じる気になれない。そんなことはあてにならないし、将来は不確定だからだ。だが愚直には価値があると信じている。もし愚直以外の道を歩めば、そこには何らかのリスクが潜んでいると思う。何かまっすぐではないこと、または身の丈に合わないことなどをすれば、それはリスクを抱えることになりかねない。だから愚直であることはリスクを最も減らせる堅実な道ではないかと思っている。また愚直であれば、気持ちの上でもやましいことがなくて自分への自信につなげることにもなると思う。
愚直というと「愚か」という言葉がつき、必要以上にまっすぐな愚かさみたいな、どこか損をしているかのようなイメージさえある。だが愚直さを貫くというのは大事なことだと信じている。
先日、辻俊彦さんの「愚直に積め!」(東洋経済新報社)をいただきました。「経営」には無縁な筆者にはもったなくて恐縮な気もしますが、まさに「王道」と呼べる大事なことが書いてあるので、ひとつひとつかみしめながら読み進めていこうと思っています。辻さん、貴重な本をどうもありがとうございました。