「mixi」「2チャン」は現代の「アジール」たり得るか
「アジール」とは「自由領域」「避難場所」「治外法権」という歴史学的な意味だ。もう少し、詳細にいうと、ここはある本から引用したい。
アジールは人類学や宗教学では、古くからよく知られた主題である。神や仏の支配する特別な空間や時間の中に入り込むと、もうそこには世俗の権力やしがらみによる拘束が及んでいない。そのため、アジールの外でたとえ罪を犯した者でも、そこに逃げ込めばもう法律の追求は及んでこられなかったし、いやな結婚から逃げたいと思っている女性や、苦しみ多い奴隷の生活から脱出したかった者も、多額の借金をかかえてにっちもさっちもいかなくなった者などでも、アジールの空間に入り込めば、いっさいの拘束や義務から自由になることができたのである。
- 「僕の叔父さん 網野善彦」(中沢新一、集英社新書、2004年)より引用
そして中沢氏は、現代ではアジールは存在しないと、「アジールは存在できない-それが現代人の『常識』である」と言っている。特に日本においてはそうであろう。駆け込み寺という名前はあるが、その機能はすでに過去のものだ。法律を犯して、逃げ込んで、罪がなくなる寺社はもうない。
そのためなのだろか、日本における自殺者は多い。自殺率をみると日本は第10位である。第9位までは東欧・旧ソ連邦ばかりだ。 All Aboutによると、2005年の自殺者は32552人で、自殺の動機は、健康(46%)、経済・生活(24%)、家庭(9%)、勤務(6%)、男女(2%)問題の順だったそうだ。健康のうち、ストレスによる体調の変化、こころの病が大きいようだ。
そういった苦しみや大きなストレスを抱えている場合に、たとえば Mixi や2チャンネルは、ある種の「アジール」として、役立ってはいないだろうか。そういった苦しみや大きなストレスを抱えている時、ひとりでないことを感じ取り、精神的な「はけ口」にならないだろうか。
と、ふっと思いました。そうであればいいな、との肯定的な意味で・・・。
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中沢新一氏の「僕の叔父さん 網野善彦」(集英社新書、2004年)には、驚いた。歴史学、とくに日本の中世史を書き換えた歴史学の重鎮、網野喜彦と中沢新一が、叔父・甥の関係だったとは。中沢氏のご尊父の妹さんのだんなさんが、網野氏だった。小さい頃から、網野氏は中沢氏を可愛がっていたようだ。
網野氏は、日本常民文化研究所において、おそらく宮本常一氏やこの研究所の創設者、渋澤敬三氏の薫陶を受けているものと思われる。網野氏の歴史学への入門書としては、「歴史を考えるヒント」(網野善彦、新潮選書)をお勧めする。なお、1950年代60年代の学者の常として、コミュニズム的なニュアンスは否めないが、網野氏の場合、それがある意味、昇華しているところに、網野氏の人間性が現れていて、好ましい。