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母親から「死んだ女の子」の話を聞いた

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 きょうは8月6日。8時15分は広島に原爆が落とされた時刻だ。そのあたりのTwitterタイムラインは「黙祷」の文字列であふれた。その前後に元ちとせが歌う「死んだ女の子」という楽曲のYouTubeへのリンクが貼られていたので、それを見た。以下は、その後、わたしがTwitterに投げたポスト:

「死んだ女の子」を聞いて、気になったことがあったので、母親に電話してきいてみた。母親の家族が疎開したのと入れ替わるように移ってきた親戚の話。原爆中心地から600mの距離。

母親一家(祖父は三菱製鋼所勤務だったが、当時は上海に出征中)が住んでいたのはこのあたり。

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疎開したのは4月中旬。入れ替わってその家に入ってきたのは祖父の妹と、その息子(当時12歳)。母親の従兄弟になる。

その家族は黒こげになっていたそうだ。「もしもあの家に残っていたら死んでいただろう。父親も三菱製鋼所に行っていたら死んでいた」。その家族で生き残ったのは、「はっこちゃん」という従姉妹。いまでも仲良くしているがそんな過去があったとは知らなかった

「はっこちゃん」は防空壕に入っていた助かったらしい。浦上駅の周辺には、ほかにも親戚が住んでいた。祖父の姉妹の家族がやはり近くに住んでいた。6人家族で娘が3人。全員亡くなった。傷はぜんぜんなかったそうだが、「空気を吸った」のが原因だと母親は言っていた。放射線にやられたのだ。

母親は終戦後、その家の近くにいって介護などの手伝いをし、入市被爆はしたが、直接被爆した人とだけは結婚しないと思っていたそうだ。父親(1.9kmで被爆)を見て、「傷がない」ことを確認してから結婚を決めたらしい。ここで決心しなければ、ぼくは生まれていないことになる。

これが、ぼくがさっき聞いたリアルな「死んだ女の子」の話。母親の代わりに死んだ多喜男さん、ナオさん、トモコさん、レイコさん、ヤスコさん。付近に住んでいた祖父の兄弟、甥、姪、そして原爆で亡くなったすべての方々。8/9 11:02には彼女たちにも祈りを捧げよう。

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