エージェント型AIはSaaSを置き換えるのか、それとも進化させるのか?
Gartnerは2026年7月8日、エージェント型AIの普及によって2030年までに最大2,340億ドル、SaaS市場全体の約20%に相当するエンタプライズ・アプリケーション向け支出が影響を受けるとの見通しを公表しました。
この背景には、生成AIの実用化が進み、企業がソフトウェアそのものではなく、業務成果や生産性向上を直接求めるようになってきたことがあります。従来のSaaSはユーザーが画面を操作することを前提としていましたが、AIエージェントが複数システムを横断して業務を実行する世界では、その前提が変わりつつあります。価格体系、競争環境、そして企業のシステム投資は新たな局面へ向かっています。
今回は、エージェント型AIがSaaS市場へ与える影響、成果中心へ移行する競争環境や企業戦略、そして、今後の展望について取り上げたいと思います。

エージェント型AIがSaaS市場の前提を書き換える
Gartnerは、エージェント型AIによる「エージェント型アービトラージ」がソフトウェア市場の収益構造を変えていくとしています。これは、AIエージェントが複数のアプリケーションを横断し、人間が画面を操作することなく業務を完結させる仕組みです。
これまでSaaSは、利用者がアプリケーションへアクセスし、画面を通じて機能を利用することで価値を提供してきました。そのため、多くの製品ではユーザー数やライセンス数が売上の基盤となっていました。しかし、AIが業務を代行するようになると、利用者が直接ソフトウェアを操作する機会は減少します。ソフトウェアは業務の裏側で動作するインフラへ近づき、利用回数や画面体験ではなく、どれだけ成果を生み出したかが価値評価の中心になると考えられます。
こうした変化は、新たな技術導入という段階を超え、ソフトウェア産業全体の経済構造を見直す動きとして捉える必要があります。
成果中心へ移る企業の購買基準
企業がソフトウェアへ期待する内容も変わり始めています。Gartnerは、購買担当者の関心が「機能」から「成果」へ移行していると分析しています。
生成AI機能を既存製品へ追加する動きは広がっていますが、それだけでは業務改善につながらないケースも少なくありません。企業が評価するのはAI機能の数ではなく、業務時間の短縮や売上拡大、コスト削減といった具体的な成果です。
そのため、AIには継続的な組織の知識や顧客情報を保持しながら判断できる能力が求められています。単発の質問応答ではなく、長期間にわたり企業固有の文脈を理解し、業務全体を最適化する仕組みが重要となります。
SaaSベンダーは製品機能の拡充だけでは差別化が難しくなり、成果を継続的に提供できるサービス設計への転換が必要となります。
UIではなくオーケストレーションが競争軸になる
エージェント型AIの普及によって、画面デザインや操作性を中心とした競争は縮小すると予想されます。
AIエージェントはERPやCRM、会計、人事、営業支援など複数のシステムを横断して処理を実行します。利用者は個別アプリケーションを意識せず、AIへ指示するだけで一連の業務が完了する場面が増えるでしょう。
その結果、競争力を左右するのはUIではなく、多様なシステムを安全に連携させるオーケストレーション能力になります。AIが企業全体のワークフローを調整する役割を担うことで、単独製品ではなくプラットフォーム全体としての価値が問われます。
新興企業は、この横断的なAIレイヤーを提供することで既存ベンダーとの差別化を図ると想定されます。一方で、従来型ベンダーには、自社製品をAIが利用しやすい形へ再構築する対応が求められています。
既存ベンダーとAIネイティブ企業の競争
今回の変化は既存ベンダーだけでなく、AIネイティブ企業にも新たな市場機会を生み出しています。
従来型ベンダーは、成果提供型サービスへ移行しながら、顧客データや業務知識を維持することが競争力につながります。一方、ライセンス数やダッシュボード中心の事業モデルを維持した場合、収益基盤が弱まる可能性があります。
反対に、AIネイティブ企業やサービスプロバイダーは、企業全体を横断するエージェント型基盤を提供することで、新たな市場を獲得できる可能性があります。さらに、業務効率化によって創出された投資余力が新たなAI投資へ向かう循環も想定されています。
ソフトウェア市場は既存市場の奪い合いだけではなく、新たな価値創出によって市場規模自体が拡大する局面へ進む可能性があります。
ERPはAIへ置き換わるのではなく共存へ向かう
国内向けコメントでは、Gartnerの本好宏次氏がERPなどの基幹システムについて重要な見解を示しています。
AIが業務を自律的に実行する場面は増えると考えられますが、高い信頼性や監査対応、法令順守が必要な基幹業務まで全面的にAIへ委ねることは現実的ではないとしています。
実際には、ERPなど既存システムを安定運用しながら、その上でAIを組み合わせて業務を高度化する構成が当面の主流になるでしょう。
これはAIとSaaSのどちらかを選択する議論ではなく、それぞれの役割を再定義する議論へ移行していることを示しています。企業には、既存資産を維持しながらAIを段階的に組み込む投資判断が重要となります。
今後の展望
2030年へ向けて、ソフトウェア産業ではライセンス販売から成果提供型サービスへの移行が進むと予想されます。その変化を支えるのは、エージェント型AIだけではなく、API連携、データガバナンス、セキュリティ、業務プロセス標準化など複数の要素です。企業が競争力を維持するためには、AI導入そのものではなく、自社データを活用できる基盤を整備し、AIが安全かつ継続的に業務を実行できる環境を構築することが必要となります。
ベンダー側では、成果に応じた料金体系やAIエージェントとの連携を前提とした製品設計が広がると考えられます。一方、導入企業では、個別システムの最適化ではなく、企業全体のワークフローをどのように再設計するかが投資判断の中心になっていくでしょう。
AIは既存システムを置き換える存在ではなく、システム全体を統合し価値を高める役割へ発展すると想定されます。その中で競争力を維持するには、成果を起点としたシステム戦略の具体化が問われています。
