守りから攻めへ:リスクインテリジェンスが経営の意思決定をどう変えるか
米国の調査コンサルティング会社フロスト&サリバンは2026年1月28日、「Beyond Risk Management(リスク管理を超えて)」を発表しました。
Beyond Risk Management: Why Risk Intelligence Is the Engine of Enterprise Growth
地政学的な緊張、サイバー攻撃の高度化、サプライチェーンの脆弱性、そして環境・社会・ガバナンス(ESG)への圧力など、企業を取り巻く脅威はかつてないほど複雑化し、相互に連鎖する「複合危機」の様相を呈しています。こうした状況下において、同社は従来のリスク管理手法が限界を迎えていると指摘し、新たな概念である「リスクインテリジェンス」への転換を提言しました。
多くの日本企業では、リスク管理がいまだにコンプライアンス遵守や年次評価といった形式的な運用にとどまっている状況が散見されます。不確実性が常態化する現代において、リスクを単に回避するだけの姿勢では、企業の存続だけでなく成長機会そのものを喪失する可能性があります。なぜ従来の手法では通用しないのか、そして企業が「想定外」を乗り越え、不確実性を競争優位へと転換するためには何が必要となるのか。
今回は、同社の提言を基点に、日本企業が直面する構造的な課題、新たなリスク対応の枠組み、そして今後の展望について取り上げたいと思います。

時代遅れとなった「守りの盾」--従来型リスク管理の構造的欠陥
かつてリスクとは、平時の事業活動において突発的に発生する「例外的な事象」でした。そのため、企業は過去のデータに基づき、発生確率と影響度を測ることで対応が可能でした。ところが、現代におけるリスクは持続的であり、かつ相互に深く結びついています。フロスト&サリバンが指摘するように、多くの組織が依存している従来のリスク管理モデルは、予測可能な時代に設計されたものであり、現在の複雑な現実に対応できていない状況です。
大きな問題として、リスク管理の「サイロ化」が挙げられます。財務、業務、IT、法務といった各部門が個別にリスクを評価しており、それぞれの脅威がどのように連鎖し、全社的な影響を及ぼすかという視点が欠落しています。例えば、ある地域での規制変更がサプライヤーの業務を停止させ、それが製品の納期遅延を招き、最終的に市場での評判と株価を同時に毀損するといった連鎖反応は、部門ごとの縦割り管理では捕捉できません。
また、従来の手法は担当者の経験や勘に依存した主観的なスコアリングに頼る傾向があります。過去の成功体験に基づく主観は、未知の脅威に対する「死角」を生み出します。さらに、年1回の定期評価や静的なヒートマップによる管理は、リアルタイムで変動する市場環境に対して常に後手に回らざるを得ません。これまでの管理手法は「何が起きたか」を説明することには長けていても、「次に何が起きるか」を予見する力には乏しい状況です。
不確実性を資本に変える--「リスクインテリジェンス」への転換
企業が持続的な成長を遂げるためには、リスクを「制御(Control)」の対象から「インテリジェンス(Intelligence)」へと昇華させること重要となります。リスクインテリジェンスとは、リスクを単なる脅威としてではなく、戦略、投資、実行を導くための統合的な情報能力として捉えるアプローチです。これは「何が悪くなる可能性があるか」という問いにとどまらず、「相互に関連するリスクが、企業の成長能力をどう形成するか」というより深層的な問いを投げかけるものです。
リスクインテリジェンスを備えた組織は、不確実性を意思決定の阻害要因ではなく、戦略的な明確さを得るための源泉として活用します。市場が不安定な局面においても、リスクの所在と影響範囲を正確に把握していれば、競合他社が躊躇している間に、資本配分や投資決定を迅速に行うことが可能となります。つまり、リスクへの感度を高めることは、守りを固めるだけでなく、攻めの経営を可能にするための条件となるのです。
実際に、高いリスク成熟度を持つ企業は、意思決定のスピード、サプライチェーンの強靭性、そして投資家や顧客からの信頼において優れたパフォーマンスを示しています。リスクを可視化し、それを経営判断のプロセスに組み込むことで、不確実性はもはや恐怖の対象ではなく、管理可能な変数へと変わります。日本企業においても、リスク管理部門を「コストセンター」ではなく、価値創造を支える「戦略パートナー」として再定義することが求められています。
死角を消滅させる「6つの次元」と統合的アプローチ
リスクを正しく理解するためには、企業価値がどのように創造され、また破壊されるかという全体像を把握する必要があります。フロスト&サリバンは、企業リスクを評価するための枠組みとして、「戦略・事業」「財務」「業務」「規制・コンプライアンス」「技術」「評判・市場」という6つの相互接続された次元を提示しています。これらを包括的に捉えることで、個別の視点では見落とされていた相互依存関係や隠れた脆弱性を浮き彫りにすることが可能となります。
具体的には、技術的なリスク(サイバー攻撃やシステム障害)が、単なるITの問題にとどまらず、業務の停止(オペレーショナルリスク)を招き、それが顧客情報の流出による信頼の失墜(レピュテーションリスク)へと直結し、最終的に巨額の賠償や株価下落(財務リスク)を引き起こすというシナリオが想定されます。6つの次元を統合的に監視することで、一つの事象が他の領域にどのような波及効果をもたらすかを予測し、先手を打つことが可能となります。
この統合的なアプローチは、経営層に対して、自社の脆弱性がどこにあり、どの領域が最も不確実性が高いかを定量的に示す手段を提供します。部門の壁を超えた共通言語でリスクを語ることで、組織全体での優先順位付けが可能となり、リソースの最適配分が実現します。部分最適ではなく全体最適の視点を持つことが、複雑な現代社会を生き抜くための必須条件といえるでしょう。
静的な文書から動的な作戦へ--運用モデルの刷新
インサイトを得るだけでは不十分であり、それを日々の業務プロセスや意思決定に組み込むことが不可欠です。リスクインテリジェンスを運用レベルで定着させるためには、計画、特定、評価、対応、モニタリングという一連のサイクルを、静的な文書作成作業から動的なアクションへと転換する必要があります。多くの企業では、リスク台帳の更新そのものが目的化してしまい、実際の危機対応に活かされていない現状があります。
運用モデルの刷新において重要となるのは、データのリアルタイム性と予測性です。過去のデータを分析するだけでなく、早期警戒指標(KRI)を設定し、ダッシュボードを通じて常時モニタリングを行う体制が推奨されます。これにより、予兆を検知した段階で、回避、軽減、移転、あるいは受容といった対応策を即座に発動することが可能となります。
また、リスク対応を現場任せにするのではなく、組織横断的なガバナンス体制を構築することも重要となります。誰がどのリスクに責任を持ち、どのレベルで意思決定を行うかを明確に定義することで、有事の際の混乱を防ぎます。リスク管理が日常のオペレーションの一部として機能するとき、組織は外部環境の変化に対して柔軟かつ強靭に対応できるようになります。報告のためのリスク管理から、行動のためのリスクインテリジェンスへの移行が、現場レベルで求められています。
レジリエンスを超えた「再発明」への道筋
リスクへの対応能力を高めることは、単に危機からの回復(レジリエンス)を早めるだけではありません。それは、危機を触媒として組織を進化させ、再発明(Reinvention)する機会をもたらします。高度なリスク管理能力を持つ企業は、混乱の中でこそ真価を発揮し、競合他社が撤退や縮小を余儀なくされる中で、新たな市場シェアを獲得したり、ビジネスモデルを革新したりすることが可能となります。
こうした企業に共通しているのは、部門を超えた統合的なガバナンス、迅速なエスカレーションメカニズム、そしてシナリオベースの意思決定プロセスです。彼らは「何が起きても対応できる」という自信を持っているため、不確実な未来に対しても積極的な投資やイノベーションを推進できます。リスクとパフォーマンスを連動させるKPIを設定し、リスクテイクが正当に評価される文化を醸成している点も特徴です。
これからの時代、リスクを避けることだけを目的とした企業は、変化の波に飲み込まれるでしょう。一方で、リスクを深く理解し、それを手なずける企業は、不確実性を味方につけ、持続的な成長を実現します。次の危機が訪れた際、自社が単に生き残るだけでなく、以前よりも強く生まれ変わるためには、今この瞬間からリスクに対する意識と仕組みを根本から変革することが必要となります。
今後の展望
今後、企業のリスクインテリジェンスは、AI(人工知能)や高度なデータ分析技術との融合により、さらなる進化を遂げると考えられます。膨大なデータから微細な予兆を検知し、人間の認知能力を超えた範囲でシナリオをシミュレーションすることが当たり前となるでしょう。しかし、テクノロジーはあくまで手段であり、最終的な意思決定を下すのは経営層や現場のリーダーたちです。AIが提示する予測を戦略にどう組み込むか、その判断力が競争力の源泉となります。
企業においては、現場の調整力や個人の責任感に依存したリスク対応から脱却し、組織全体でデータを共有し、構造的にリスクに向き合う仕組みへの転換が急務です。CFO(最高財務責任者)やCSO(最高戦略責任者)が、財務数値だけでなく、非財務リスクを含めた全体像を把握し、資本市場やステークホルダーに対して透明性のある対話を行うことが期待されます。