オルタナティブ・ブログ > 高瀬文人の「精密な空論」 >

記者としての取材や編集者としての仕事の中から浮かんだふとした疑問やトピックをご紹介。裁判や企業法務、雑誌・書籍を中心としたこれからのメディアを主なテーマに、一歩引いた視点から考えてみたいのですが、まあ、精密でない頭の中をそのままお見せします。

『あまちゃん』の東京依存にだまされるな!〈地元の仕事とは〉を追求した映画『幸福(しあわせ)のスイッチ』

»
『あまちゃん』とは何か。

80年代へのオマージュとパロディとか、ユイちゃんの可愛さとか腹黒さとか、古田新太のダンスにごまかされてはいけない。実は、あまちゃんの構造自体は、かなり古典的である。
一言で言うなら、「東京と地方の間で揺れ動くアイデンティティの物語」なのだ。こういう構造の物語は昔から掃いて捨てるほどあって、宮藤官九郎はそこを巧みに利用して、朝ドラという枠で幅広い世代の支持を得ることに成功した。

■あまちゃんと東京依存の回路
「あまちゃん」の、他にない面白さは、東京と北三陸をつなぐ回廊が「アイドル」であるということだ。春子が通り、アキが通り、何と夏ばっぱもそこを通った。
反面、そこがこのドラマの欠陥でもある。常に東京との関係でしか、北三陸がとらえられないのだ。
登場人物は、ほとんど全員が東京が気になって仕方がない。海女クラブの面々も北鉄の職員も北三陸に人を呼ぶために知恵を絞るが、その視線は東京のオタクを見ているし、あんべちゃんは「まめぶ」で東京進出を狙うが挫折する。

「あまちゃん」の登場人物で一番の勝利者は誰か。
私は、「小田勉」だと思う。そう、コハクばかり磨いている勉である。
勉は東京に見向きもせず、自分がよいと思う原石を見つけ、そのよさを引き出すためにひたすら磨いた。
そのことに気がついたのが水口である。
原石はどこで輝くべきなのか。だから水口は、アキを「地元に帰」したのだ。

■「地元の仕事」とは何だろう
さて、24日(火)21時からNHKBSプレミアムで放映される、映画『幸福(しあわせ)のスイッチ』も、似たような構造を持つ物語である。

舞台は和歌山県田辺市。イラストレーターの卵として東京で仕事をしている上野樹里は、小さな電器店を経営する父、沢田研二の入院で家業を手伝うことになる。古い電化製品の修理から、テレビの移動まで町の人々の細かい注文に赤字を出しながら応じていて、量販店の進出に押されて風前の灯火に見える父の商売が、東京の世知辛い仕事を経験している上野はとうてい受け入れられない......。

見どころは、何と言っても上野樹里の「やさぐれ演技」である。
この映画の公開は06年。朝の連ドラ『てるてる家族』、『スゥイングガールズ』を経て、メジャーになる直前の上野ののめり込み演技を見ることができる。上野は役になりきるタイプだというが、おそらくこの時期に出演した映画の中でも一番ののめり込み方ではないだろうか。とにかく目つきがいい意味ですごい。ギャグ的な小ネタも入っているが、そこでも目つきはまっすぐこちらを射てくる。
上野は高校生のときに父のある行状を目撃した。そこが本上まなみの姉と中村静香の妹と違って、上野がかたくなにやさぐれた態度を崩さない伏線になっている。

物語は田辺の町だけで進行する。自主映画出身で、テレビドラマ脚本の手練れでもある安田真奈監督は映画だからといって話を大きくしない。これが上野の演技力と合わせてとても成功している。しかし、映画的な疾走やスペクタクルはちゃんと入っている。安田監督は、等身大の人の心の中を、映画的なスケールで描くのがとても上手である。
そして、ありがちないい話に落とす、というところを安田監督が徹底的に拒否するストーリー運びもいさぎよい。

この映画で示されるのは、町医者のような電器店の姿を通して、東京に影響されない「仕事のあり方」「生き方」である。つまり、コハクを磨く「勉」的な生き方だ。その点、復興に間接的ではあれ東京の力を借りようとする「あまちゃん」の北三陸よりも強さを求められるし、厳しい。
被災地であろうとなかろうと、地方の生き残りは厳しい。この映画は、正面からそのことを問うている。

06年公開だが、震災を経たいま、見る価値のある映画である。
小ネタも満載なので、「あまちゃん」が好きな人も楽しめる。

Comment(2)