スマート革命、アップルの栄華はピークを越したのか、それとも一時的なコップの中の嵐が吹いているだけなのか!!
<序文>
アップルのiPhone5の登場が色々な波風を立てています。発売一週間の販売数が5百万台以上とアナリストの予想(6百万台―一千万台)を下回った為、株価が下がったり、アップル地図への入れ替え問題で消費者レポートにクレームをつけられたり、生産工場のあるフォックスコンで暴動が起こったり、この時期ちょっとした暗雲が垂れ込めています。その結果、iPhone5は過去最高の作品との高い評価がある一方で経営各誌はアップルの栄華は盛りを過ぎたのか過ぎていないのかの論争を一斉に始めました。
議論の基本は地図の問題ですが、「細部を大切にするジョブズ氏が健在なら決してこんなことはしなかっただろう」と言った「既にアップルはジョブズ後だ」と言う見方と「地図問題は単なる一時的なコップの中の嵐」と言う見方に分かれています。
一時「iPhoneでなければスマートフォンじゃない」と言ったトーンのテレビCMを打っていたアップルですが、斜めから聞けば「平家にあらずば人にあらず」とも聞こえます。果たしてアップルの栄華は終わりの始まりなのでしょうか?
★ ★Has Apple Peaked?
★ ★ Why Apple Hasn't Peaked -- Yet
★★ Apple IPhone 5 Misses Estimates Even as 5 Million Units Are Sold
<出所:ビジネスウイーク誌>
<アップルと言うローマ帝国は永遠なのか>
この論争はニューヨークタイムスが仕掛けたものですが、それにビジネスウイーク、ビジネスインサイダー、フォーブスなど経営誌が載ってきて華やかな経営論を繰り広げています。米国の論争ですから当然、ローマの盛衰や炭鉱事故における前兆としてのカナリアの死などが意識されている訳ですが、ニューヨークタイムス誌は「故スティーブ・ジョブズ氏は、アップルが失うものはない程、最悪な時に復帰して攻めに攻めた。そしてもっともアップルが稼いだ時、失うものが一杯あるときに会社を去った。」と述べ、アップルの地図の失敗を取り上げて、「ジョブズしならば決してしない失敗だろう。アップルは保守的になった。」と述べています。サムスンとのパテント争いとかグーグルとの覇権争いを革新すべき生活者の為の「サービス支配論理」よりも上に置いた守りの姿勢だと言う論調です。
一方フォーブス誌は、「地図の問題は一時的なコップの中の嵐」に過ぎないと切って捨てています。しかし確かにアップル自体が攻めの姿勢を保てるかどうかは、今後2-3年見ないと判らないとしています。
帝国が繁栄した後のローマのように、守りを重視するようだと早晩、蛮族=ゲルマン民族と言うベンチャーに滅ぼされると言う訳です。
<サービスへの攻めの姿勢を保てるのか>
さてモノのインターネット(internet of things)の時代の特徴は多様な機器がインターネットに繋がる「繋がり革命」と個々の機器が自律分散協調型で機器自身が考えるAI要素を持った「スマート化(スマート革命)」にありました。またインターネットが情報だけではなく、実際に物(車やスマートメーターなど)を動かし始めたのも特徴の一つです。(グーグルの無人運転など)
そうした中、モノのインターネット(internet of things)の時代を生活者領域で切り開いたのがアップルとアマゾンでした。そこにおいてはスマート機器の仕様よりもその上に根を張り、茎を伸ばしたサービスの森が重視されています。これがモノ支配論理からサービス支配論理への転換です。
筆者はアップルの地図問題が怒らせたのは生活者と言うよりも自動車会社だと思っています。スマートフォンやタブレットを活用したドライバーのBYOD(好みのスマートフォンと通信キャリアの持ち込みサービス)によるカーナビサービスや娯楽サービスを開始しようとしているGMやフォードなどのスマートカーの自動車企業にはアップルの地図問題は大きなショックでした。グーグルテレビはテレビ局をすっかり怒らせましたが、アップルの地図は自動車会社を激怒させたことでしょう。嘗てマイクロソフトも「問題があればリセットするリセット文化だ!!こんなもの基幹系システムに使えない!!」と企業のIT部門を怒らせたことがありました。
アップルの地図問題が「この世をばわが世とぞ思う 望月の欠けたることも無しと思えば」と読んだ藤原の道長の歌に読まれた満月が欠ける瞬間なのかどうかは判りませんが、サービス支配論理を重視する姿勢をアップルがどこまでとり続けるかどうかのウオッチが必要と言う事なのでしょう。