スマート革命による創造的破壊、ガラパゴスケータイは何故スマートフォンに負けたのか!!?
<序文>
一人一台のパソコン時代と異なり、一人が七台の異なるスマート機器を操ると言われるスマート革命時代は、1)イノベーションの新しい形と共に2)個人コンピューティング(パソコン)の新しい形が登場します。
2012年7月に総務省が刊行した「情報通信白書2012」に於いては非常に鋭い問いの設定がなされています。「ガラケーはスマフォに何故負けたのか?」と問いを発しています。慶応の準教授の鋭い問いかけです。
ガラケーが誕生し、成長した10年以上前の日本とスマートフォンが登場した2007年頃の米国では「エコシステム」(生態系)が異なります。ダートマス大のロン・アドナー教授が提唱している著書「ザ・ワイドレンズ」の視点から違いを分析してみましょう。この書籍の視点から米国では国内家電の敗戦の理由などを分析しています。
★★The Wide Lens: A New Strategy for Innovation
<ガラケー対スマフォ何が異なるのか>
ガラケーがiモードなどのサービスを開始した、1999年2月頃から日本では一挙にガラケーと各種のサービス(iモード、Ezweb、 Yahoo! ケータイ)が普及しケータイからインターネットにアクセスする動きが爆発的に広まりました。しかし度重なるiモードの輸出努力にも関わらず、欧米ではガラケー型インターネットサービスは普及しませんでした。
その理由は海外に於いてケータイはあくまで「通話とSMSを送受信するためのもの」であり、日本のように「簡易パソコン」とは考えていなかったと言う点が大きく異なります。パソコンの値段が一台20万円と高価な時代、国内ではケータイを簡易パソコンと考える風潮が強く、パソコンのような汎用的な機能、例えばお財布ケータイなどの多機能が持て囃されました。何でもかんでも狭い所に詰め込む日本特有の四畳半文化が働いていたと考えられます。
筆者も良く覚えていますがガラケーのHTMLを何度も何度も押してグリーのゲームを楽しんでいた頃があります。HTMLをガラケーに対応させるのは非常に簡単な為、国内のサービス事業者はパソコンの片手間で対応できました。
ロン・アドナーの「ザ・ワイドレンズ」の視点から申し上げればエコシステムが異なりました。そして欧米市場で3Gなどの導入がなされ、エコシステムが成熟した時期にiPhone=スマートフォンが登場しました。
またガラケーの開発もサービス選定も通信キャリアが行い、国内メーカーは系列取引の下、下請け的な地位に甘んじていました。
<平家と源氏の対応の差>
日本のガラケーは飽くまでもパソコン文化を引きずった、言わばパソコン文化の派生的なライフスタイルであり、iアプリなどはあったものの基本はHTMLによる簡易パソコンとしてのサービスでした。これはある意味では貴族文化=パソコン文化を滅ぼしながら、自らもパソコン文化を閉鎖的な形で身にまとい、貴族化して言った平氏に例えられます。
一方スマートフォンは鎌倉武士の質実剛健などの新しい文化=新しい個人コンピューティングの形と機器の仕様よりもサービスを重視するサービス支配論理の事業モデルを持ったものとして登場し、新たなスマート機器群へと発展します。
サービス中心のアマゾンが開発したプライベートブランドのタブレットが、プロのサムスンが開発した性能が良いタブレットよりも売れると言う新しい時代がやってきました。それはサービスの差のなせる技です。
スマートフォンやタブレットで撮影した写真が不思議なことに何時の間にかパソコンやスマートテレビに自動的に移動して、画面に映っている魔法の技はガラケー時代には考えられませんでした。元寇の際に北条氏の御家人達が体験した火矢のようなイメージかもしれません。
貴族文化の中では世渡りの下手な源氏が、坂東武者の支持を集めてやがて武士の社会を作り上げたようにスマート革命とガラケーでは明らかにイノベーションの形と個人コンピューティングの形が異なります。
ガラケーのエコシステムは飽くまでパソコン文化の派生であり、スマートフォンは新しい個人コンピューティングの形と言う主張ですが如何でしょうか?