地味なスーパーサラリーマンが見せた驚くべき魔法
週末ごとに近所のスーパーに食料を買い出しにいくのだが、やはり週末は多くの客でごった返し、レジには長い行列ができる。慣れているとはいえ、レジ待ちはあまり気分のいいものではない。
その日も10台あるレジには長い列ができていた。ベテランのパート社員たちは必死に客をさばいていくが、それでも追いつかない。すると1つの問題が起きていた。1台のレジだけやたら進みが遅く、並んでいる客は明らかにイラついていた。
と、そこに助っ人が現れた。
白いYシャツに紺のネクタイ姿の男性――。とりあえず首からぶら下げたエプロン姿からしてレジ打ちが本職の社員ではない。そして、この男性がすごかった。
商品をスキャンするスピードが尋常でなく速い。商品をカゴに入れる動きに迷いがない。特売品の値段も一瞬で打ち込む――。まさに神業だった。
ベテランのパート社員のレジ打ちの速さはよく知っているが、彼はその2倍か3倍ほど上をいく。軽いショックを受けた。まるで手品か魔法を見ているようで、彼の仕事ぶりは美しくすらあった。
「あの男の人のテクニック、すごいね...」
脇にいた奥さんが呟いた。彼女もまた、彼の神業に見惚れていた。
しかし、テクニックもさることながら本当に注目すべきは、ふらりとやってきていきなりレジ打ちをこなせる「染みついた基本動作」だろう。
Yシャツにネクタイ姿の男性社員は40代前半、その服装やお堅い雰囲気からして営業かバイヤーか。いずれにせよ本部社員らしく、日常でレジ打ちはしないと思われた。たまたま視察で居合わせた売り場で長い行列にでくわし「これはマズイ」と助っ人に入ったのかもしれない。
それでも、神業のようなレジ打ちができるのは社員教育の賜物だろう。この企業では新入社員は必ず現場からスタートするという。数年は現場でレジ打ちもこなし、その経験が20年経ってもなお染みついているに違いない。
じつはこの企業のコンサルティングを数年ほどしたことがある。もっとも現場ではなく新規事業のサポートをするためで、共に働いたのは部長やマネージャーなど幹部社員が中心だった。多くの社員にとって初めての新規事業、またマーケティングも不得手となれば苦戦するのも当然である。
ただ、そこで驚いたのは社員に備わる「意識の共通性」だった。
みな最初はわからないことばかりで、戸惑うことも少なくなかった。ところが、いったん仕事のやり方を覚えるとみるみる吸収していく。「素直にアドバイスを聞く」「分からなければすぐ尋ねる」「真面目に繰り返す」――。働くうえでの基本的な姿勢が見事に共通していた。
そこでふと思い出したのが、入社した者は必ず経験するという現場での販売――。つまり「レジ打ち」は単なるテクニックではない。また、社員教育という堅苦しいルールとも異なる。その企業で働く者としての「共通マインド」を育成しているのだ。
おそらく本部で働く部長やマネージャーも、いつ何時ふらっと現場に出ても恐ろしいスピードでレジに並ぶ客をさばいてしまうのだろう。基本がしっかりしている企業、社員に「共通マインド」が沁み込んでいる企業はやはり強い。
「うちにスター社員はいらない。必要なのはベーシックにこなせる社員です」
そう語っていた人事担当者の言葉を思い出す。ちょっと物足りない気もするが「みなが同じマインドで働く」ということは、組織という観点から見ればこれほど正しく、しかし難しいものはないのかもしれない。
事実、新プロジェクトにしても新規事業にしても実際のところ必要になるのは、新たな知恵でもなければ際立つ能力でもない。組織としての全体力である。
新規事業などの相談を受けていて気づくことが1つある。つまずく原因で最も顕著なのが、じつは新規事業の内容うんぬんかんぬんの前に、共通するマインドが社員に備わっていないケースだ。
例えば、社員の入れ替わりが激しい企業。新しい人材、新しい発想が次々と入ってくるので職場はいつも活気と才能に溢れている。それはそれで結構だが、入れ替わりが激しいぶん会社としての共通項、すなわち〝レジ打ちのような基礎〟がないことも少なくない。
とりあえずの社員教育は行ったとしても、マインドはまた別物である。これがないと何かあった際に空中分解を起こしやすい。
考えてみると、10人の転職者が集まる職場ではそれぞれどんなマインドを持っているのか分からないものだ。前職は知っていても、その前、さらにその前は知らないということも少なくない。
そもそもレジ打ちのような基礎的マインドを教わっていない者がいるかもしれない。
日本企業はスピードが遅いと言われる。革新性に乏しいとも評される。確かに、そういった面は否めないだろう。しかし、全員で確実かつ堅実に仕事をこなしていく「地味力」「結束力」も案外重要なのではないだろうかと、スピードや効率ばかりが重視される昨今、つくづく思う。急がば回れ、みたいなものだ。
さて、スーパーで突如、神業を見せた男性社員。あっという間に行列を短くすると、一言ふたことパート社員にアドバイスを残して去っていった。
彼のスゴさを実感したのは、むしろその後のことだった。
レジ売り場全体がピリっとした雰囲気、いい意味での引き締まりが生まれ、レジ打ちをする者の表情も動きも見違えるほど良くなったのだ。パート社員にとって幹部社員は上司であり評定を下す者であるが、それ以上に「いいお手本」なのだろう。
さっと現れ、神業のようなレジ打ちをこなした地味なスーパーサラリーマン。似合わない彼のエプロン姿は、ちょっとだけスーパーマンのように映った。
(荒木NEWS CONSULTING 荒木亨二)
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