【書評】「ベンチャー養成講座」を疑似体験できる一冊"The Launch Pad"
言わずと知れたベンチャーの「聖地」シリコンバレー。そのシリコンバレーで最も注目されるベンチャーキャピタリストの傍らで、彼が開催する「短期集中ベンチャー養成講座」に参加できるとしたら、エキサイティングな体験にならないはずがないでしょう。しかしこのプログラム「Yコンビネーター」に参加するためには、創業者ポール・グレアム氏らによる合格率約3パーセントという選考を潜り抜け、起業家候補生として3ヵ月間の厳しい日々を過ごす覚悟がなければなりません。そんなYコンビネーターに潜入し(もちろん許可を得てですが)、選考過程から「卒業」までを描いた貴重なドキュメンタリーが、"The Launch Pad: Inside Y Combinator, Silicon Valley's Most Exclusive School for Startups"です。
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著者のランダル・ストロス氏はサンノゼ州立大学でビジネス専攻の教授を務める傍ら、ニューヨーク・タイムズ紙などにも寄稿をされている作家さんです。最近の著作には『プラネット・グーグル』がありますが、ここはむしろ『eボーイズ―ベンチャーキャピタル成功物語』の著者という紹介をしておいた方が良いでしょう。2000年に発表された同書は、発足間もないVC(ベンチャーキャピタル)であるベンチマーク・キャピタルに密着し、「ドットコム・ブーム」に沸くシリコンバレーで関係者たちがどんな行動を取っていたのかを描いています。ご存知の通り、その直後にドットコム・ブームははじけてしまうわけですが、それから十数年経過したいま、ストロス氏がシリコンバレーとベンチャーをテーマにした新たな著作を書き上げるというのは感慨深いものがあります。
ともあれ今回のテーマ「Yコンビネーター」ですが、そのビジネスモデルは最近「アクセラレーター(accelerator)」という名前で呼ばれることがあります。アクセラレーターとは文字通り、「加速させるもの」という意味ですが、ベンチャーの文脈で語られるときには「ベンチャー企業に出資する一方で、彼らのために短期集中で様々な便宜を図り(著名起業家からレクチャーを受ける機会を設けるなど)、一定期間ののちにVCやエンジェル投資家に対してお披露目をするイベント(デモ・デイ)を開催してさらなる投資を呼び込む」というモデルのことを指します。支援したベンチャーが力をつけて、最終的にIPOなどの成功を収めれば、出資しているアクセラレーター自身の利益になるわけですね。
「ベンチャーに出資しつつ支援する」というアプローチについては、以前から「ハンズオン型の投資」や「インキュベーター」など様々な形で行われていたのですが、上記のような短期集中講座的スタイルを確立し、米国にアクセラレーター・ブームをもたらしたのが2005年創業のYコンビネーターであると言われています。実際にYコンビネーターの成功後、米国にはTechStarsや500 Startupsなどの類似企業やプログラムが登場し、活発に活動することとなりました(ちなみにこうした他のアクセラレーターとYコンビネーターの違いについても"The Launch Pad"で解説されています)。Yコンビネーター自身も順調に成長を続けており、本書が描いている2011年のサマー・バッチ(参加者募集からデモ・デイまでが1つのサイクル「バッチ」となっており、Yコンビネーターは夏/冬の年2回というサイクルでバッチを開催している)は、当時過去最高の63グループが参加したとのこと。応募自体は約2,000グループだったので、競争率3パーセントということになります。
これほど注目されているYコンビネーターですが、その性質上、これまでプログラムの実情が詳細にレポートされることはあまりありませんでした。個人的に読んだものの中では、雑誌WIREDに掲載された記事"Y Combinator Is Boot Camp for Startups"(雑誌『WIRED』日本版VOL.2に邦訳記事が掲載されています)が最も詳しい一編だったのですが、前述の通り"The Launch Pad"は2011年サマー・バッチの最初から最後まで(さらには多くの「卒業生」の動向まで)に密着しており、文字通り知られざる内幕を描いた一冊となっています。
その内容は、そのまま映画か1クール分のテレビドラマにできそうなほどドラマチック。ポール・グレアム氏は応募者のどんなところを見て合否を決めているのか(応募の時点で持っている起業アイデアはそれほど重要ではなく、「年齢以上に大人びているか」など応募者の性格の方が重要)、3ヵ月間の「デモ・デイ準備期間」に何が行われるのか(よく軍隊の「ブートキャンプ」に喩えられるYコンビネーターですが、各種レクチャーやイベントに強制参加させられることはなく、むしろ「ハンズ・オン」の逆で「ハンズ・オフ」型であるとのこと)、参加者がどのような悩みにぶちあたり、デモ・デイに向けてどのように事業を具体化してゆくのか(当初の方向性を大きく転換する、いわゆる「ピボット」が行われる様も詳細に描かれています)、ポール・グレアムがデモ・デイ用のスピーチ指導をどのように行っているのか(とにかくゆっくり!でも眠くならないように抑揚をつけて!等々)など、本当に3ヵ月間のプログラムに参加したかのような読後感です。
当然ながらこうした情報は、ドキュメンタリーとして楽しめるだけでなく、実際にベンチャーの現場に関わっている人々に有益なものとなるでしょう。読みながらエリック・リースの『リーン・スタートアップ』を何度も思い出したのですが、実際にリース氏も文中で言及されていますし(ちなみに裏表紙の推薦文にもリース氏の名前が)、語弊があるかもしれませんが「リーン・スタートアップの副読本」的な位置づけでも読めるのではないでしょうか。
また文中で何度か、Yコンビネーターあるいはアクセラレーターが一種の高等教育として位置づけられています。実際に大学に在籍しながら、あるいは大学を辞めて、あるいはビジネススクールに進学するのを止めてアクセラレーターのプログラムに飛び込む人も多いとのこと。Yコンビネーターは「生徒」である投資先の成否にその存続がかかっているわけですから、参加者から卒業生に至るまで、様々な形でのケアの取り組みを行っています。いま様々な形で「新たな教育の姿はどうあるべきか」という議論が行われていますが、起業家を育てるための教育はどうあるべきか、という観点から本書を読むこともできるかもしれません。
このように本書で様々なノウハウを暴露している(暴露されている?)Yコンビネーターとポール・グレアム氏ですが、本書の中に「(他の地域がシリコンバレーほどベンチャーの育成に成功していないのは)近くにお手本が存在しないから」とった主旨のコメントが登場します。またいくらICT技術を使って遠隔地とのコミュニケーションが可能になっても、フェイス・トゥ・フェイスの指導に代わるものはないという信念も。実際に参加者たちはグレアム氏とディスカッションをすると、行動に移したい!という意欲が湧いてくるそうですから、本当のYコンビネーターの価値は文章では得られないところにあるのでしょう。とはいえ本書が米国のベンチャーの最前線を知るものとして、貴重な一冊になってくれることは間違いないと思います。
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