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ワシントンポストのソーシャルメディア・ポリシーが引き起こした騒動

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ソーシャルメディアの人気の高まりを受けて、会社内で何らかのポリシーやガイドラインの設定を急いでいるという方も多いかもしれません。実際、オンライン上で確認できるだけで、既に80社以上がソーシャルメディアポリシーを有しています。そんな状況の中、ワシントンポスト紙が設定した「Facebook や Twitter など、オンラインソーシャルネットワークを使用する際のガイドライン」をめぐり、ちょっとした騒ぎが起きているとのこと:

WaPo’s Social Media Guidelines Paint Staff Into Virtual Corner; Full Text of Guidelines (paidContent.org)

ワシントンポスト紙でシニアエディターを務めている Milton Coleman さんという方が、先週金曜日にこのガイドラインを作成し、社内に回覧したところ……社員の中に個人的なアカウントを削除する人まで現れた、という状況のようです。内容はそれほど多くないのですが、全文を引用するのもちょっと難しいので、いくつかポイントとなる部分を抜粋してみましょう:

  • When using social networking tools for reporting or for our personal lives, we must remember that Washington Post journalists are always Washington Post journalists.
    (ソーシャルネットワーキングツールを報道用、あるいは私用に使う際には、ワシントンポストの記者は常にワシントンポストの記者であることを忘れてはならない)
  • We must be accurate in our reporting and transparent about our intentions when participating. 
    (報道を行う際には、正確な内容を報じることに徹し、対象となる出来事に参加する際には我々の意図を明らかにすること)
  • When using these networks, nothing we do must call into question the impartiality of our news judgment. 
    (ソーシャルネットワークを利用する際には、私たちの中立性について疑問が投げかかられるような行動を取らないこと)
  • All Washington Post journalists relinquish some of the personal privileges of private citizens.  Post journalists must recognize that any content associated with them in an online social network is, for practical purposes, the equivalent of what appears beneath their bylines in the newspaper or on our website.
    (ワシントンポストの記者は、市民としての権利の一部を手放さなければならない。オンラインのソーシャルネットワーク上でどんなコンテンツを生み出したとしても、事実上それは、ワシントンポスト紙の紙面やウェブサイト上に署名入りで掲載される記事と同じ存在であることを記者は認識しなければならない)
  • What you do on social networks should be presumed to be publicly available to anyone, even if you have created a private account. 
    (ソーシャルネットワーク上で取った行動は、たとえそれが非公開アカウントによるものだったとしても、誰からも見られる可能性があると認識すること)
  • Post journalists must refrain from writing, tweeting or posting anything—including photographs or video—that could be perceived as reflecting political, racial, sexist, religious or other bias or favoritism that could be used to tarnish our journalistic credibility.
    (政治的、人種差別的、男女差別的、宗教的発言、あるいは他の偏見に基づく発言や肩入れなど、私たちのジャーナリストとしての信頼性を損なう発言を書き込まないこと。それには写真やビデオも含まれる)
  • Personal pages online are no place for the discussion of internal newsroom issues such as sourcing, reporting of stories, decisions to publish or not to publish, personnel matters and untoward personal or professional matters involving our colleagues.
    (オンライン上の個人ページは、情報源、事件の報告、公表するか否かの判断、個人的な話、不適切など、社内の編集室の中で行うような会話をするための場ではない)

こんな感じです。お時間のある方は、ぜひ全文をチェックしてみて下さい。

さて、皆さんの感想はいかがでしょうか?ソーシャルメディアを使う上での一般的な注意に加え、ジャーナリストとしての中立性・信頼性を損なわないことに主眼が置かれた内容になっていますね。個人的には若干厳しいことは認めざるを得ないものの、ジャーナリストという立場ではこのぐらいは仕方のないことではないかという感想です。ただし日本人の方が「新聞の中立性」という幻想を抱く傾向が強いですから、仮に日本人の目には当然のように映っても、米国では違う受け止められ方をするのかもしれません。

恐らくポイントの1つは、「個人のアカウントでも上記のようなルールを守らなければならないのか」という点でしょう。会社の公式 Twitter であれば、偏見や何らかの立場に肩入れした発言をしてはならないというのはある程度当然の話でしょう(まぁ「下野なう」と書いてしまった某新聞社もありますが……)。しかし新聞社、あるいは何らかの企業に属していることを明らかにしている個人は、たとえ個人のアカウント上であっても所属組織を意識した発言を心がけなければならないのでしょうか。この問題は新聞記者に限られたものではなく、実名を晒してソーシャルメディアに参加する全ての人々に関係してくると思います。

ソーシャルメディアには「メディア」という言葉が含まれているように、ごく私的なコミュニケーションでありながら、一方で不特定多数の人々に伝わるという性質を持っています。そこが魅力の1つなわけですが、同時にそれは、思いも寄らない場所で思いも寄らない受け取られ方をするというリスクを生じさせるものです。そのリスクを個人に任せてしまうのか、あるいは企業が「管理主義だ」と非難されつつも率先して抑えていくのか――ワシントンポスト紙のポリシーが引き起こした騒動は、今後様々な場所で見られるようになるのではないでしょうか。

【○年前の今日の記事】

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