4年後に望むもの
北京オリンピックも、残すところ今日を含め2日となりました。主要な競技はほぼ終了し、メダルが出そろいましたが、残念ながら日本勢は「メダル確実と叫ばれていた競技ほどふるわない」という状況になっています。4年後、2012年のロンドンオリンピックで同じ状況を繰り返さないためには、何が必要なのでしょうか。
最近、『現代アートビジネス』という本を読みました。名前だけは聞いたことがある、けど実際どんな仕事をしているのかよく分からない「(美術)ギャラリー」という存在について、日本の第一人者である小山登美夫さんが書かれた本です(ちなみにこの小山さん、帯に書かれた宣伝文句では「奈良美智、村上隆を世に出した仕掛け人」という肩書きで紹介されています)。ギャラリーだけでなく、現代アートの市場がどのようなメカニズムで動いているのか俯瞰できる良書ですので、興味のある方はご一読をお勧めします。
で、同書の中にこんな一節があります:
映画『プラダを着た悪魔』をご覧になりましたか。はなはだ唐突かもしれませんが、アートが社会と結びついていくためには、メディアが堅実に機能していることが大切です。この物語にアートを取りまく日本のメディアの問題点が隠されています。
(中略)
ファッション雑誌は、レビューで成り立っているがゆえに、超一流の「批評性」を獲得したメディアです。だからこそ、「プラダを着た悪魔」は、権力を持ち、高給を手にして、ヒールの音を轟かせて業界を闊歩することができるわけです。
当然、有力ファッション誌の動向は、来シーズンのコレクションにも影響を与えますし、デザイナーたちをおおいに刺激します。イメージ戦略はブランドにとっても死活問題ですから、ファッションブランドの方も必死なのです。こうしたマーケットの循環と価値の蓄積が、ファッションを巨大産業へと育ててきました。
そして「日本の美術界には『レビュー』を果たす存在がない」「信頼できる公平な批評が育たなければ、マーケットの循環と価値の蓄積が成り立たない」という議論が展開されます。
この話、日本のスポーツ界と新聞・テレビの関係についても同じことが言えるのではないでしょうか。試合前には「金確実」「気合いを入れれば勝てない相手ではない」などと吹聴しながら、負けた後には「ケガの苦しみを乗り越えて頑張った」「支えた家族にとっては『銅』も『金』の輝きだ」というような美談に切り替える。最悪の場合、その競技には一切触れないで無かったかのように振る舞う――これではとても「批評」の役割は果たせません。無論、「負けた選手をボコボコに叩け!」「オリンピックは金メダルしか価値がない!」などと言うつもりは毛頭ありませんが、日本のスポーツ界を世界で戦えるレベルにしたいのであれば、健全な批評の存在は欠かせないでしょう。
以前『スポーツニュースは恐い』という本を読みました。そこで「読者がスポーツニュースに期待しているのは、ややこしい批評ではなく、だらだらと寝転がって楽しめるような内容だ(だからジャーナリズムにはほど遠い内容が掲載される)」というような議論があったのですが、確かに一般的な読者が新聞・テレビに求めているのは、「娯楽」であって「分析」ではないのかもしれません。従ってメディアの側だけに変化を要求するのは酷であり、私たち読者とメディア、そして批評される当事者のスポーツ界が一丸となって、スポーツ批評の文化とメカニズムを育てていかなければならないのだと思います。
そんな難しい話、あと4年でとても実現するとは思えませんが……しかしいつまでも「夢と感動をありがとう!」では、期待されていたはずの種目で惨敗、という状況が続くのではないでしょうか。
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