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本質は、タイトルが決める

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六本木に新しい美術館「国立新美術館」がオープンしますね。残念ながらオフィスが品川に移転してしまったため、仕事帰りにちょっと立ち寄る(金曜日は午後8時までオープンとのこと)のは難しそうですが、ぜひ足を運んでみたいと思っています。

ところで、皆さんは芸術作品を鑑賞する際、タイトルを先に読みますか?後に読みますか?または読むべきでしょうか、読まないべきでしょうか?全く気にしない、あるいはタイトルだけでなく作者・制作年・所有者(施設)などプレートに記された全ての情報を頭に入れてから見る、という方もいらっしゃるかもしれません。例えば、ただの四角形の組み合わせに見えるモノを目の前にしたとき「これはモンドリアンの『コンポジション』という作品だ」という前提で見た方が良いのでしょうか、それともそんな鑑賞法は邪道でしょうか。

実はこの質問、最近読んだ『タイトルの魔力』という本に登場するのですが、芸術作品におけるタイトル(作者などの情報も含めて「メタ情報」と呼べるかもしれません)が持つ影響力を示している思います。良し悪しは別にして、タイトルという情報を得た瞬間に、目の前にある作品が違った意味を持ったという経験はどなたにもあるでしょう。タイトルによって、そのモノの本質までが左右されてしまうわけです(実際には本質は変化せず、心の中にある「捉え方」が変化するだけですが)。

以前、ブログでもタイトルが重要というエントリを書いたことがありました。それは人々を惹きつけて、中を読んでもらうために必要だという言わば「PR効果」としての側面に目を向けたものでしたが、「タイトルが本質にまで与える影響力」は芸術作品に限らないということを実感させるニュースがありました:

残業代ゼロ法案、名前が悪かった 経済界が「敗因分析」 (asahi.com)

巷で話題の「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入法案見送りについて。経済界では、今回の結果を「残業代ゼロ法案なんて名前を付けられた時点でダメだった」と分析する向きがあるようです。「タイトルなんてレッテルに過ぎない。中身が悪かったから反発を招いたのだ」という意見もありますが、果たしてそう言い切れるでしょうか。いったい日本国民の何割が、この法案の「中身」だけを理解した上で賛否を決める、つまり「モンドリアンの『コンポジション』という作品だ」という情報無しで「この作品は優れた芸術性がある」と判断する、というのと同じ行動を取ったのでしょうか?「残業代ゼロ」と言われた瞬間に、法案の中にあるそれ以外の部分が目に入らなくなったという人々は多かったと思います。

法案に限らず、私たちは様々な場面で「タイトルの魔力」に惑わされているのではないでしょうか。刺激的なタイトルの付けられた法案、ブログのエントリ、新聞/雑誌記事などなどに隠された「本当の本質」を見つけるためには、先入観を捨てて情報を集めてみるという行為が必要だと思います。逆に「障害」を「不具合」、「クレーム」を「ご意見」、「遅延」を「ビハインド」などという(比較的)中立的な言葉で置き換えるテクニックは、私たちが思う以上に有効なのかもしれません(いえ、決して現場でこのようなタイトルを使えというオススメではありませんので……)。

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