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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

「あなたよく知ってるわね」って言われたら反省した方がいい

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「おたく」は話が長い。自分の知識が豊富すぎること、その知識を披露したくてたまらないことが原因である、しかし「おたく」が興味を持っている分野は、多くの人にとって何の関心もないから、相手は別に知りたいとも思っていない。もし関心を持っているような言葉が出たとしても、単なる社交辞令である。

小学生の時、数冊貸した本がなかなか返ってこず、卒業前にまとめて返ってきたことがある。ふつう、何冊か借りたら、特に長期間借りている場合は、読んだ本から順に返すだろう。まとめて返ってきたということは、読んでいないということである。

その時、自分の趣味が普遍的なものではないことを知った。

「おたく」は単に話が長いだけではなく、余計なことを言う。単なる知識自慢のためである。豊富な知識は別に共感を呼ばないし、場合によっては(というより、たいていの場合は)うるさいだけである。

私がそのことに気付いたのは高校の頃、庄司薫の小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んだときだ。「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主人公は作者のペンネームと同姓同名で、由美ちゃんというガールフレンドがいる。小説の薫君は東大を目指す受験生だが、学生運動の影響で入試が中止になって困っている。

話は薫君が由美ちゃんに電話するところから始まる。少々長くなるが、非常に重要なシーンなのでそのまま引用する。なお、かけた電話は当然固定電話であり、出たのはもちろん母親である。ここにも面白い(でも今は全く通じない)エピソードがあるのだが、それは割愛する。やっと母親から電話を替わってもらったら、由美ちゃんがこう切り出した(太字は引用者による)。

「ねえ、エンペドクレスのサンダルの話知ってる?」

「え? なんだって。」

「エンペドクレスって、世界で一番最初に、純粋に形而上的な悩みから自殺したんですって。」

「へえ。」

「それでヴェスヴィオスの火口に身を投げたんだけど、あとにサンダルが残っていて、きちんとそろえてあったんですって。」

「へえ。」

「素敵ね、エンペドクレスって。」

「うん(?)」

「サンダルがきちんとそろえて脱いであったんですって。いいわあ」

「ふーん。」

「ねえ、とってもすごい話じゃない?」

「うん。」

< A >

「その、なんだな、エンペドクレスってのは、例のイオニア派のあれだな。」

「イオニア派?」と、とたんに彼女の声が険しくなった。無理もないけれど

「うん、ほら、万物は火と風と水と土からできていて、愛と憎しみの力でくっついたり離れたりするって言ったやつだ。火と風と水と土がだよ。」

ぼくはできるだけ陽気に言ったのだが、彼女はもう氷のように冷たくなってしまった。もういけない。

「へえ、あなたよく知ってるわね。」

「だって受験生だからね。まあ八百屋がキャベツ売るようなものだ。」

「ほんとによく知ってるわ。」

「つまらないことをいっぱい、ね。」

「あたしをからかってんの?」

「ちがうよ。しまった、と思ってんだ、分かるだろ?」

「そう。」と彼女は素っ気なく言って、それから改めてきめつけるような調子で「じゃ、分かったのね。」と、ゆっくりと言ってきた。

これじゃ、ぼくだってちょっと頭にきてしまう。

「なにが? つまり、サンダルがきちんとそろえて脱いであったんだろう?」

「そうよ、ヴェスヴィオスの火口にね。」

「世界最初の、純粋に形而上的悩みで自殺したんだな。」

ぼくには、彼女が電話の向こうで、スーッと息を呑みこむのが分かったように思えた。やがて彼女は極端に起伏のない声で言った。

「あのね。あたし、こんなこと言いたくないけど、この話ゆうべ聞いて、それからずっと、きょうあなたに会ったら話してあげようと思ってたんだわ。」

「……。」

「でも、いまの気持ちをお伝えすれば、舌かんで死んじゃいたいわ。」

「無理もないけれど」と思っているところに、薫君のコミュニケーション能力の高さがうかがわれる。

本作品は映画化もされている。薫君役は岡田裕介で、後に東映社長を経て東映グループ会長となる。由美ちゃん役は森和代、後に森本レオと結婚する。原作をかなり忠実に映画化しており、エンペドクレスのサンダルの下りももちろん登場する。彼女が険しい表情で「舌かんで死んじゃいたいわ」と言うシーンは必見である。

ではここで問題。

<A>には、主人公の薫君が「あとになって思えば、こうすればよかった」という述懐と言い訳が入る。あなたならどうするか。140字以内で記述しなさい。

私がこの下りを初めて読んだとき、それまでの自分を深く反省した。いまだに直せてはいないが、あとで反省するくらいの分別は付いた。もっとも、その場ではよく分からないので「よく知ってますね」と言われたらとりあえず謝っておくだけだ。たぶん、何か気分を害したのだろう。

<A>の部分は、小説ではこうなっている。

あとになって思えば、ぼくはその時、それほんとうかい、すごいなあ、といったことを何とか表現するか、または感に堪えたまま黙っていればよかったのだ。<以下、言い訳が続く>

つまり、重要なことは知識ではなく共感である。共感を表現するうまい言葉が出てこなければ、黙ってればいいわけだ。「うまく言葉にならないんだけど」は万能のキーワードである。相手が何を言いたいのか、意味が分からないときは使ってみるといい。「表現できないんだけど」などのバリエーションも持っておくといいだろう。

ちなみに、エンペドクレスのサンダルのエピソードは広く伝わっているが、その目的は「自身が神であることを証明するため」とされている。これが「形而上的な悩み」かどうかは意見が分かれるだろう。また、飛び込んだのはエトナ火山でありヴェスヴィオス火山ではない(これは最近知った)。

ベズビオス火山はイタリア南部にあり、シチリア島にあるエトナ火山とは少々距離がある。また、歴史に登場するのはローマ時代になってからである。それに対してエトナ火山はギリシャ神話にも頻繁に登場する由緒ある場所である。エンペドクレスはシチリア島の出身であり、同じシチリア島にあるエトナ火山と結びついたのだろうか。

博学な庄司薫(作者も主人公も)がそんな記憶違いをしているとは思えないし、校閲係もきっと気付くだろう。あえて間違った地名を言わせ、あえて指摘しないことで薫君のコミュニケーション能力の高さを示したのだろう。

何しろ、薫君はイオニア派の説明をしただけで由美ちゃんとは「軽く2週間は絶交が続く」と予測しているのである。「エトナ火山の間違いだ」と指摘したら事態はさらに深刻になり、続編「白鳥の歌なんか聞こえない」に至らなかったかもしれない。

余計な突っ込みや訂正はコミュニケーションを阻害する。指摘するのは話が全部終わってからが望ましい。

バレンタインデーも近い。今さら努力しても遅いと思うが、会話には十分注意して欲しい。

ちなみに私は全く実践できていない。このブログを読めばよく分かるはずだ。


赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)


白鳥の歌なんか聞えない (新潮文庫)

 
赤頭巾ちゃん気をつけて [DVD]
「白鳥の歌なんか聞こえない」も、ほぼ同じキャストで映画化されたが、こちらはDVDになっていない。以前CSで放送していたのを録画したが、見る前にテープを紛失してしまった。

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▲高いコミュニケーション能力は種の壁を越える

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