個人向け技術から企業向け技術へ
新しい技術は高価なので、まず企業が導入し、安価になったところで民生用に転用されるのが常だった。しかし、現在は民生用として導入される方が先である。今回はマルチメディア処理の歴史を中心に、民生用から産業用へ普及した技術を紹介する。
●画像処理の始まり
初期のPCは8色から16色、多くても256色程度の情報しか扱えなかった。「プログラム言語を学ぼう」で紹介したPC-8801やFM-8の画面解像度は640×200ドットである。PC-8801は640×400ドットのモノクロモードもあったが、グレースケールではないし、いずれにしても写真画質は実現できなかった。ドット単位で色を変えることで、擬似的な中間色を表現したとしても、当時はアニメ画像を表現するのが精一杯だった。
ただし、「ビジネスにカラーは不要」と思っていた人は多い。汎用機の端末は黒地に白または緑、まれにオレンジ(アンバー)だった。カラー端末はデザインなどの特殊用途向けで、一般のビジネスシーンでは使われなかった。Macintoshがカラー化された時も否定的な意見が多かった。
現在では、カラー表示はビジネスシーンでも当たり前になった。これはデザイナーの仕事が奪われたと考えることもできるし、クラウドに代表されるセルフサービスの流れの結果であると考えることもできる。
●オーディオ処理の始まり
オーディオ機能は、PSG(プログラマブルサウンドジェネレータ)と呼ばれる機能がNEC PC-6001(1981年発売)などに搭載された。FM-8用にはサードパーティから拡張カードが発売され、私も利用していた。
初期のPSGは3つの単音を同時発生できるだけで、音声として利用することはほぼ不可能だった。友人は駆動してパラメータを調整したものの
いいか、今から発生させる音は『オハヨウ』という音声だからな、よく聞けよ
と何度も念を押してからデモをしていた(思い込みによりそれらしく聞こえる)。下手な物まねみたいなものである。
かつて、コンピュータが出す音はせいぜいブザー音だった。アスキー文字コードにはブザーを鳴らすコードも含まれる(BELと呼ばれ、ASCII文字コードは7である)。現在では、さまざまなチャイムが鳴り、音だけで何が起こったのか、ある程度分かるようになっている。
現在では、オーディオ処理もビジネスシーンで不可欠な機能となった。
●CD-ROMの搭載
そのうちにCD-ROMが登場し、Windows 3.0にMME(マルチメディアエクステンション)が搭載された(1990年)。IBM PC/AT互換機ではフルカラーのグラフィック機能が提供された。
ただし、日本ではグラフィックカードを変更するという習慣がなかったせいか(IBM-PCは発売当初から購入時にグラフィックカードを選択できるようになっていた)、あるいは日本のPCユーザーはみんな3次元よりも2次元が好きだったのか、PCで写真を見る習慣は広がらなかった。
ちなみに、1990年頃の日本のアダルトPCコンテンツはアニメ中心だったが、米国では実写ベースのものに移行しつつあった。ただし、現在でも日本のアダルトゲームはアニメが中心なので、技術的な問題ではなく嗜好の問題だったのかもしれない。
ただし、高速なネットワークが普及し、CD-ROMの必要性は薄れた。そのためCD-ROMは個人向けとしても企業向けとしても縮小傾向にある。
●デジカメの普及
DOS/Vの発表により、PC/AT互換のシステムが日本に普及した。写真を扱うことが一般的になったあとも「マルチメディア機能はエンターテイメント用であり、ビジネスには不要である」という論調は強かった。
状況が変わったのはデジカメが普及してからだ。プレゼン資料が配付されない場合でも、画面の写真を撮れば済む。画面をメモするのに一所懸命になってしまい、話を聞き漏らす心配もない。デジカメ画像は議事録や報告書を作成するためのツールとなった。
●電話会議
米国は国土が広いせいで、古くから電話会議が盛んだった。最近は、日本でも旅費を節約するために電話会議が増えているようだ。「eラーニング」も一向に芽が出なかったが、やっと最近になってビジネスが増えてきた。
電話会議は、技術的には「音声チャット」である(「チャット(おしゃべり)」が音声であるのはある意味当然だが、PCではキーボードによる対話を「チャット」と称しているため「音声チャット」と呼ぶ)。
音声チャットの代表はSkypeだ。当初はSkypeは電話代を節約したい個人ユーザーから利用が始まり、その後で企業に普及した。Skypeを買収したマイクロソフトは、ビジネス向けには「Skype for Business」(旧称Lync)を利用して欲しいようだが、従来のSkypeを使っている人も多い。
●ビデオ教材
PCでテレビを見たいという要望は初期の頃からあった。シャープの「パソコンテレビX1」(1982年)では、PCモニタとTV機能を切り替えて使えるようになっていた。ただし、デジタル的に動画を扱うにはMPEG-1(1993年)まで待つ必要があった。
MPEG-1はビデオCDの規格として利用された。ビデオCDは、日本ではほとんど普及しなかったが香港や台湾などでは広く使われていたらしい。実際、香港に出張したときに、香港アイドルの「ビデオCD」を購入した(きちんと再生できた)。
なお、MPEG-1にはオーディオ規格も含まれていた。これがMP3(MPEG Audio Layer 3)である。MP3は現在でもPC上での音楽フォーマットとして広く使われている。
私が入社した頃、ビデオ教材を扱うにはVHSビデオ機器が必須だった(Uマチックは既に存在せず、ベータマックスは少数派になっていた)。PCでビデオ再生が出来るようになった後も、ビデオデッキはしばらく使われていた。しかし、現在ではPC上でビデオファイルを再生するのが普通になっている。やはり民生用よりも遅れての利用である。
●次の技術は?
従来、新しい技術は産業界で利用された後に(安価になった後に)、民生用に転用するのが一般的だった。たとえばコンピュータは国や企業に導入されたあと、個人用PCに発展した。
しかし、PCで利用される技術は逆のルートをたどる。デジカメ写真も電話会議もビデオ再生も個人用途で使われたのが最初である。そして、いずれも現在は企業内で使われている。
そもそもTCP/IPがそうだった。TCP/IPは学術研究として開始されたが、実際は研究者が個人的な用途で使うことが多かった(「実証実験」とも言う)。初期のTCP/IPは信頼性が低いので企業向けではないと主張する人もいたくらいだが、現在TCP/IPを使っていない企業は皆無だろう。
ブログもSNSもTwitterも、個人用途から企業に広まった。次に普及するのが何だろう。新しいビジネスがあるかも知れない。