オルタナティブ・ブログ > 仕事と生活と私――ITエンジニアの人生 >

IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

阪神淡路大震災から20年

»

阪神淡路大震災から20年だそうだ。当時、私は京都の実家に住んで大阪に勤務していたため、私自身に大きな被害はなかったものの、友人が亡くなり、友人の親御さんが亡くなった。

この日は月曜日だった(※コメントでご指摘いただきましたが、これは記憶違いで、振替休日明けの火曜日でした)。早朝に大きな揺れを感じ、枕元のスピーカが落下したが、いつも通り京都駅に向かった。鉄道は地震に弱いので、ダイヤが乱れていることは予想していたが、全く動いていない。自宅に電話してニュースを見てもらおうと思ったが、電話が通じない。当時は携帯電話がそれほど普及しておらず、スマートフォンはもちろん、携帯Webサイトもなかった。仕方なく徒歩で自宅に戻ったところ、京阪電車が動いていることが分かり、地下鉄から近鉄に乗り継ぎ、丹波橋で京阪に乗り換えて勤務先のある淀屋橋に向かった。

動いているといってもダイヤは乱れており、60分遅れでオフィスに到着。いつものように3階のオフィスまで階段を上ろうと思ったら、ビル警備の人が「ちょっと濡れていますので注意してください」と声をかけてきた。実際はちょっとどころではなく、水道管が破裂して水浸しになっていた。

オフィスに着くなり「コース(研修)どうなった、(遅刻したので)誰か途中まで説明してる?」と聞いたら「横山さん、何言ってるんですが、全クラス中止ですよ」と言われた。中には北海道から来ていた人もいらっしゃったようで、本当に申し訳ないことをした。

そのうちに、神戸の状況が伝わってきた。当時、ロビーに備え付けられていた大型テレビを付けると、現実とは思えない火事の様子が映っていた。この時の写真は、『阪神・淡路大震災「1・17の記録」』として閲覧とダウンロードできるようになっている。知らない方はぜひ見て欲しい。東日本大震災で起きた津波もそうだったが、あまりにも大きな災害は現実感が失われる。

電話回線はパンク状態、連絡は基本的に公衆電話だった。営業から「システムをシャットダウンしたいのだが、ログオンせずにできるか」という質問まであった。「それはできません」と伝えると、ちょっと電話に出てくれと公衆電話まで連れて行かれた。詳しく聞くと、マシンルームが浸水し(おそらく水道管の破裂)、サーバーに近付いているのでシステムを止めたいのだという(水没までには至らないだろうが、電源がショートする可能性があり、ブレーカーを落としたいようだった)。仕方がないので「ディスクのアクセスランプを見て、アクセスが減ってきたら電源を切ってください」と答えた。

神戸方面に住む同僚が数名いて、しばらく連絡が取れなかったが、最悪でもホテル暮らしを数日しただけで自宅に戻れたようだ。そんなとき、確か水曜日にお客様から電話があった。

「あの、○○さんにお願いしていることがあるんですが」

「申し訳ございません、○○は現在連絡が取れない状態でして、ところで納期はいつだったでしょう」

「先週の金曜日です」

「おい、それ震災前の納期やんけ」と心の中で突っ込んだ。数日後、依頼されたものは完成していることが分かり、無事納品できた。

別の同僚の友人は、自宅が全壊したが、地震の瞬間は新聞配達のアルバイト中で難を逃れたという。サラ金に借金があったそうだ。何が幸いするか分からないものである。その後、震災支援の一環として、無料で結婚式を挙げたと同僚から聞いた。

友人の親御さんが亡くなったのを知ったのは、確か翌週だった。元々起業家指向だった彼女が実際に事業を興すきっかけとなったようだ(株式会社シェルメール「代表挨拶」より)。

別の友人が亡くなったのを知ったのは、しばらく疎遠にしていたこともあり、ずっとあとだった。最後に会ったのは、国際花と緑の博覧会(EXPO'90)、通称「花博」のPR用に開設したパソコン通信ホストについての相談だったと記憶している。このパソコン通信は、既に何人かのボランティアスタッフがおり、私の出る幕はほとんどなかったのだが。

阪神淡路大震災があった1995年は、3月に東京で地下鉄サリン事件があった年でもある。また、年末にはWindows 95が発売され、私の勤務先が部門売却により「グローバルナレッジネットワーク」という会社になり、私が東京に引っ越した年でもある(売却と転勤は偶然の一致で、転勤が先に決まった)。

あれから20年、神戸はほぼ復興したと言っていいだろうが、不自然な空き地も目立つという。神戸のテレビ局サンテレビは開局45周年記念作品として、コミックス原作の「神戸在住」をドラマと劇場映画として制作した。「震災を知らない女子大生たちが織りなす、神戸へのオマージュ」というコピーが付いているように、震災を直接扱ったものではない。しかし、直接体験した神戸の人に取ってはまだまだ過去のことではないわけで、現在を舞台にしたリアルな内容になると思われる。

ドラマ放送は局によって多少異なるが1月17日(土)震災の日に放映される。また映画は、神戸、大阪、渋谷などで劇場公開される予定である。詳しくは「神戸在住」のWebサイトを参照して欲しい。


▲『劇場版 神戸在住』予告編

DSC01864M
▲『神戸在住』の主題歌「あのとき」を歌う宮崎奈穂子さん


【追記】

コメントをいただいた通り、1995年1月17日は、月曜日ではなく火曜日でした。

休み明けという印象が強かったので、月曜日だと思い込んでいましたが、調べたら1月15日が当時の成人の日で日曜日、1月16日(月)が振替休日でした。

本文には注釈を加筆済みです。

ご指摘ありがとうございました。

Comment(4)

コメント

山家 祥文

ここ数年気になるのだが、阪神淡路にしろ東日本にしろ「記憶薄れさせてはいけない!」と絶叫する皆さまが絶賛増殖中である。しかし「覚えておいて欲しい事」が個人の感情に過ぎないケースが多いと思われる。
家族や友人を亡くした方々の心の痛みにはご同情申し上げるが、すでに次世代が大人になって生きており、彼らに「悲しみ」が伝わる事は無いであろう。もし伝えたい事があるのなら、その最初は「神戸も大阪も大地震なんて想定していなかった」という事だろう。それゆえに火災に備えた区画整理に住民は応じなかったし、一部政党や労組は妨害さえした。そして想定通りに燃えた。まったく「工数見積もりを無視した失敗プロジェクトの王道」そのものではないか!

大川原啓玄

「それゆえに火災に備えた区画整理に住民は応じなかったし」
東日本大震災の震源地から少し離れた津波被災地域でも似た話がありましたね。

津波被害の可能性ありとハザードマップに掲載されていたエリアに想定どおりに被害がでました。
ハザードマップ策定時には掲載されると土地の値段が下がると苦情があったそうです。

こういうことを繰り返してはいけないのですが、阪神大震災の教訓の一部は東日本大震災に活かされなかったというのは悲しいことですね。

嶺 憲一郎

あの日は火曜日でした(京都では一部を除いて普通に大学の講義が進行していました)。もしかしたら前の日が成人の日の振替休日で休みだったかもしれません。

「神戸在住」の作者も(もちろん主人公も)震災当時は神戸にいなかったということなので、それをさらにもうひとつの大地震を経たいま映像化してどういう映画になったのか楽しみです(連載当時は読んでたのに)

横山哲也

あ、本当ですね。20年間勘違いしていました(さすがに数年は覚えていたと思いますが)。
休み明けという印象が強かったので、月曜日だと思い込んでいましたが、調べたら1月15日が当時の成人の日で日曜日、1月16日(月)が振替休日でした。
ご指摘ありがとうございました。

コメントを投稿する