書評『巨象も踊る』
「読書の秋」ということで、何回かに分けて書籍を紹介している。なお、本稿は2011年8月8日と15日に、Web媒体「Computer World」に掲載したものを基に、若干の修正を加えたものである。
今回は、少し古い本になってしまったが、『巨象も踊る』(ルイス・ガースナー著)である。ずいぶん昔に購入したまま放置していたのだが、先日紹介した「ユニコード戦記」に触発されて読んでみた。
本書は破綻寸前だった1992年ごろのIBMが、ルイス・ガースナーの指導の下で復活を遂げる過程を描いたノンフィクションである。インタビュー資料をゴーストライターが再構成したものではなく、実際にガースナー氏自身が執筆したそうだ(これは非常に珍しいことである)。
巨大化した組織は、組織を維持するための慣性力が働く。「会社を再興させる」という共通の目標があっても、既存の枠組みを外して行動することはなかなかできない。これは、ユニコード制定時の各国の思惑と似ているように思う。「世界共通の文字コード」という目標にだれも異論はないが、既存の文字コードとの整合性を考えると反対せざるを得ない状況もある。長期的な利益がわかっても、短期的な損失を補填することがほんとうにできるのか、という不安もあるだろう。
国際規格と企業経営が違うのはこうした不安の解決方法である。国際規格の場合は、妥協案をさぐる。また、一度制定した規格は、たとえ問題があってもそう簡単に変えることはできない。一方、企業経営の場合は取締役会と株主が同意すれば何でもできるし、決定事項を覆すこともできる。ただし、国際規格には嫌でも従わざるを得ないが、企業では実際に働く従業員がほんとうに意味で同意しない限りは何も動かない。
どちらが難しいということではないが、組織には多くの意見があり、統一させるには強いリーダーシップが必要だという点に変わりはない。本書には、リーダーシップの本質についてもある程度言及されている。IBMにも企業経営にも興味がない人でも、リーダーシップについて興味があるなら読んで損はない。
IBMは、部門売却とレイオフを行うことで、企業としては存続することに成功した。しかし、IBMを目指し、一時期はIBMに次ぐ業界2位の地位を誇ったDEC(ディジタルイクイップメント社)は、部門売却が一通り終わったあとで本体ごとCompaqに売却され、そのCompaqはHPに買収された。
HPといえば、(コンピュータ分野では)DECと激しく競合していた企業であること、DEC製品群を紹介するときは「現在はHPがサポート」と書かれることから(もちろんそれは正しい)、HPがDECを買ったと思っている人もいるようである。もう面倒なので、そういうことにしておいてもいいのだが、実際はCompaqが間に入っている。
私が勤務するグローバルナレッジネットワークも、DECから売却された部門である。
大企業が傾いた場合は部門売却が行われることが多いが、これは決して悪いことではない。DECがストレージ部門を売却したからこそ、DLTというテープ装置が業界標準となった(売却されなければ競合他社は採用しなかっただろう)。
製品だけではない。企業が解体されることで、人材が流動化することで業界全体が活性化する面もある。解雇された方は大変だったと思うが、結果としてその方が専門を生かせたのではないかと思う。
日本は終身雇用制が伝統だと思われているが、書籍などを読んでいると高度成長期に入る前の技術者は、転職を繰り返すのが普通だったという。日本は、高度成長期に「物作り」で世界を席巻したが、その基礎を作った人たちは終身雇用制の下で技術を覚えたのではないということになる。
新入社員の一斉入社も、高度成長期からの習慣で、その前は卒業後にインターンを経たり、学校を中退して入社するケースが多かったらしい。
日本では、再び終身雇用制が崩れ、新卒採用も異常な状況になっている。こうした状況を考えながら、IBMの凋落と復興について考えるのも面白いと思う。
巨象も踊る