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最強の公共事業、琵琶湖疎水

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佐々木さんのエントリ「あなたの業界は大丈夫? 政府施策で潤う業界、廃れる業界」を読んで思い出したことがありました。

今日も京都に流れる琵琶湖疎水。こちらは明治時代に行われた公共事業で、琵琶湖から水を引いてくるものです。水は農業と飲み水に使われるわけですが、それだけではもったいないと考えたのか、水路を水運のための運河に、また水の勢いを電気に変える水力発電を行い、その電気で路面電車まで通してしまうというすごい計画でした。

しかもその設計と監督をしたのが今の東大工学部を卒業したての22歳の田邉朔郎です。今よりずっと平均寿命が短い時代なので我々の22歳ともまた感覚が違うところがあったと思いますが、それにしてもすごいですね。今でこそ水運と発電はなくなりましたが琵琶湖疎水は今日もごーごーと流れています。

この大成功に思える公共事業もやはり副作用がなかったわけでもなく、Wikipediaにもこんな記載があります。

旅客は1891年(明治24年)に大津-蹴上の下りが1時間22分30秒で4銭、上りが2時間20分で5銭と並行する鉄道の京都-馬場が運賃上等50銭(往復75銭)、中等30銭(往復45銭)、下等15銭よりはるかに安く、馬車も8銭を6銭に値下げして競争したという。1911年(明治44年)には渡航およそ13万人を数えたが、翌年8月の京津電気軌道(現京阪京津線)の古川町-札ノ辻開業でおよそ4万7千人に減少した。1915年(大正4年)の京阪本線五条-三条の延長により電車で大津-京都市内-伏見が直結されると3万人台になり、唯一の渡航船会社、京近曳船は廃業した。

琵琶湖疎水は明治政府(=明治天皇)からの出資も含めた膨大な金額を投じたプロジェクトでした。それだけの規模のお金が投じられたら影響を受けない業界が出ないわけがありません。工事従事者はずいぶんと良い思いをしたでしょうが、当初は渡航船が鉄道と馬車を脅かしたようでETCで高速道路が乗り放題1000円と似たものを感じます。

それにしても22歳で国家レベルの事業を担当し、100年を経てもまだ疎水が使われているどころか大学の1回生向けの授業で「お前らも卒業するまでにこれくらいの人間になれ」と引き合いに出され続けるほどの功績を残せるなんて、どういった22年間を送ってきた人だったのでしょう。すごいですね。公共事業で潤う業界、廃れる業界が出てしまうのは仕方ないことと思いますが、願わくばすばらしい事業に税金が投じられ、それを凄腕の人物が確実に実現させていって欲しいものです。

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