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ブランドを信じる気持ち

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先日は入間にできたアウトレットモールに行ってきました。

オープン初日に入間のアウトレットに行ってきた
http://blogs.itmedia.co.jp/yohei/2008/04/post-f957.html

アウトレットという商売はブランドと表裏一体のものです。普段は都心部のブランドショップで売っている高価な商品が、傷ついたり、陳腐化したりした場合に郊外のアウトレットで販売されます。ではブランドショップではなぜ傷ついたり陳腐化したりする商品を販売できないのでしょうか。

それはブランドだからです。というと禅問答のようですが、きれいで魅力的な商品を販売しているところにブランド価値が生まれます。また、ブランドを保有するメーカでは広告を通して商品のイメージを世に広くアピールしています。

ブランドをアピールするということについては、何もシャネルやグッチといった服飾系のブランドに限った話ではありません。自動車、タバコ、お酒、パソコン、缶コーヒー、野菜、などなど、ブランド戦略を立てていないものを探すのに苦労するほど様々なブランドが存在します。

その中でもやはりブランドの王道と言えば服飾です。服飾のブランドについてはこんな噂があります。

高級な衣服を販売しているブランドではアウトレットという考え方がなく、流出を防ぐために売れ残りをすべて焼却処分している。

このようなブランドを守る努力により、その商品が魅力的であると感じられやすくなります。世の中の流行に敏感な人たちを中心にそのブランドが認められれば、そのブランドは世の中で広く認められていく傾向にあります。世に言うセレブという方々の利用価値はここにおいて絶大な効果を発揮します。

それでは我々はブランドに踊らされているのでしょうか。アルファベットのロゴを貼り付けただけの布切れに高い金を払って損をしているのでしょうか。私はこの考え方について賛成していません。むしろ反対の立場から捉えています。

服飾のような世界でのブランドを考えてみます。我々は高い、といっても数万円も出せばブランドの衣服やカバンを手に入れることができます。高級バックでも、デパートや路面店で必要な金額さえ払えばいつでも手に入れることができます。ともすれば、消費者金融で1年ローンを組めば手持ちのお金に乏しい人でもブランド品を手に入れることができます。

そのお金はメーカーに渡り、メーカーはブランドをアピールすることにそのお金を使ってくれます。ファッション誌への広告出稿、店舗の店員、店舗の外装、一等地への出展、ファッションショーの開催、新商品の開発、セレブへの商品提供(と、マスコミを通しての『セレブが使っている』ことの訴求等)、意図しない層への商品の配分の低減(アウトレット流出を抑える等)、志望したブランドの切り離し(質屋で大量に見かけるラインナップを廃止する等)、があげられます。これらを的確に実行することができる人材への報酬、というのもブランドを維持するための費用の一部と言えます。これらはプロ中のプロの腕により的確に実行されます。そしてこれから先も実行され続けるだろう、という予測が立ちます。

この点において、ブランドを購入するというのはお金を持った消費者が金の力でメーカーを操ることだと言えます。これはあたかも資本家が株式会社に出資して企業統治を行う体系に似ています。我々はブランドメーカーを踊らされているのではなく、自分の好みにあったブランドを取捨選択し、自分が投資をしたお金を自分好みのブランド構築に使うよう暗黙のプレッシャーをかけています。株式の仕組と異なるのは株主総会のように直接意見を投じる場所が存在せず、不買という回答によってメーカーの行動を左右するというくらいであると思います。

これはとても便利な仕組です。例えば我々がブランドの力を使用せずに「流行に乗ったおしゃれな服装ができる人」というイメージを作ろうと思ったらどうすれば良いでしょうか。流行のカラーは、スタイルは、素材は、コーディネートは、このすべての情報を自分で収集しなくてはなりません。例えばショップの店員さんのアドバイスにより上から下までコーディネートするという方法もありますが、着回しも含めて店員さんにコーディネートしてもらうのは難しいでしょう。おそらくタンスも足りません。ファッションが得意な人であれば良いでしょうが、そうでない人はともすればブランド品を買う以上の金額を使わなくてはやっていけないかもしれません。

それがブランドの服を身につけることで、そのブランドの帯びる性質を自分のものとすることができます。いわばオシャレをアピールする活動の一部をブランドメーカーにアウトソーシングしているのがオシャレの基本原理であると言えるのではないでしょうか。

これを支えるのは、ブランドの服を見た時にそのブランドが売り込むイメージを想起できるという人間本来の関連付け能力です。都会的、スポーティ、野生的、ジェントルなどなど色々なイメージがあると思いますが、おおむねブランドのイメージというのは共有されています。(高級というのも重要なイメージのひとつです)

これらのイメージは、主に芸能人やセレブと言われる人に使用してもらうことで帯びさせることが多いと言えます。その広告塔が持つイメージが商品に転写され、その商品を使用するユーザにもそのイメージが転写されます。そしてそのユーザが「ユーザ群」となった場合には、ユーザ群のイメージもまた商品に転写されます。何かの間違いにより、もしiPodが初期にオタクな人に売れまくっていたら、あのカラフルで印象的なテレビCMの力をもってしてもiPodの成功は無かったかも知れません。

このようにして、「!」を見て「びっくり」というイメージが浮かぶのと同様に、あるアイテムを見て「都会的だ」と感じる事を「記号化」と言います。このことはジュディス・ウィリアムスン著の「広告の記号論」に詳しかったです。というかこのエントリはほとんどその本の受け売りです。

物言わぬ服や車にイメージを持たせるのは人間の能力です。これは現代においてはブランドという利用のされ方が中心となっていますが、過去においても利用されて来た歴史があるように思います。例えば鹿の肩甲骨の割れ方にはきっと未来を予知する能力などないのでしょうが、多くの人がそれを吉兆であるとか凶兆であると思い込むことでそれが占いとなります。そのへんに落ちている岩が神のヨリシロであると信じることで、恐れ多い岩となります。

こういったものを信じる気持ちは疑いの無いものですが、現代のブランドを絡めて考えるに「そう信じたほうが気持ちが楽なのでみんなと意見を合わせている」状態ではないか、と思います。昔も今も未来が予測できない事に変わりありません。昔は食料が取れるかどうかわからないことに気を揉み、現代は現代で株価や大学の合否などに胃を痛めます。そんな時に宗教的シンボルにお祈りをすれば、気持ちが楽になります。「みんなが願いごとを叶えてくれる」ということを自分の中での確定事項として、それに則った行動を取る事で「もう大丈夫だ」という気持ちになれるからです。

そもそもブランド品を身につけて着飾りたいという衝動の源には、「ダメなやつと思われたくない」という焦りがあります。その焦りを根本的に解消することは現実的ではありません。なぜならば自分を知っている全員に対して本音のアンケートを取らない限りは事実が確認できないからです。ではどのあたりで脳が満足するかと言えば、「ダメなやつと思われないだろう」と納得できるまでおしゃれをすることです。その実施策のひとつとしてブランド品を買うという人が多いため、世の中には多くのブランドがあります。ブランド品を使用しなくてもオシャレをアピールすることができる人はブランド品を買いませんし、ダメなやつと思われたくない、という気持ちが無い人はオシャレ追及の道からドロップアウトしても気になりません。

そんなこんなで、アウトレットパークで良い買い物ができたなー。フフフという気持ちの自己分析でした。

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