超人カルロス・ゴーン、行動原理に垣間見る西洋哲学思想
ゴーン被告の出国に関するニュースが沢山報じられています。
レバノンとは引き渡し協定がなく、フランスであっても自国民を他国に引き渡すことは普通はしないという報道を目にして感じたのは、今回のような、日本の法律を無視・超越した発想は外国籍であるゴーン被告だからこそ思いついた方法なのだろうと。
仏副大臣、ゴーン元会長を日本に「引き渡さない」:日本経済新聞
2020/1/2 19:28仏テレビBFMの取材に応じた。パニエルナシェ氏は「フランスが国民を引き渡すことは決してない。それがルールだ」と説明した。仏法は「法律違反を犯した時点で仏国民だった人物への引き渡し要請には応じない」などと規定している。
日本においての保釈という取り決めの条件を破った訳ですから、当然批判もされるし、それに応じた処罰の必要性についても否定しません。
ただ今回の件から感じたのは、個人としての善悪の判断における独善性の強烈さというか、個人の思いをここまでして追求するか...というゴーン被告の姿勢に、西洋の哲学思想のもの凄さを垣間見た気がしました。
ゴーン被告の行動原理に、ルサンチマンとか末人としての発想は微塵も感じられず、そこにあるのは、日本の法律を否定し、あくまで自分自身の考えを貫き通す姿勢であり、超人的とも例えられるような気がしました。
その独善性が他者にとっては不愉快、受け入れがたい場合も当然ある訳ですが、あくまで自分の力を信じて総力戦で臨むゴーン被告にとっては関係ないことでしょう。
自分を振り返って、どこまで自分の信念を貫けるかというと、お恥ずかしい限りであります。
これからの人生の場面でも自身の信念を問われる場面は色々あるかとは思うのですが、
信念は、真実にとって噓よりも危険な敵である。
はニーチェの言葉。
先ほど超人に例えたゴーン被告ではありますが、キャリアの成功と破綻の原因のひとつが彼の信念に起因しているというのは、何とも皮肉な結果であり、学ぶべき点が多々あるような気がします。