スポンサー料は一億円だったけど制作会社へのギャラ860万円と言う事例から考えてみる、労働生産性の意味
自分のやっている会社の経営をどう効率化すれば儲けが増えるのか?というのは経営の立場にある人なら当然気になることだと思うのですが、日本の労働生産性が低いという指摘を見聞きして、さてそれは具体的にどういう事なんだろう?と思い、
こんなページや、
労働生産性の国際比較・2008年版
日本の生産性は先進 7カ国中最下位、OECD30カ国中第20位
製造業は OECD26カ国中 12位に
財団法人 社会経済生産性本部
こんなページを眺めて、ブログも書くつもりで書きかけの原稿はあったりするのですけど、
平成18年版 労働経済の分析
第2章
就業形態の多様化と
その背景
最近思うに、自分の場合は制作の仕事で地道に頑張れば何とかなるとか、脳天気に希望的観測を描くのが辛い常態になってたりします(苦笑)
時間あたりの生産性を高めようと思っていても、時間が短いから安くしてくれとか、簡単な仕事だから値引きしてくれという話しがゴロゴロあって、これに関してもいろいろ書きたいことはあるのですが単なるボヤキにしか聞こえないことも考慮して自主規制しておきます。
最近見かけたページのこちらで思い出したのですが確かに「あるある大辞典」スポンサー料は一億円だったけど制作会社に支払われていたギャラは860万円という話しありましたよね。
この状況を考えると、たとえばその制作会社の社長が考えるべきは、社員の生産性というよりは、どの段階の商流で仕事を取れるかって話しになるんだよな、、、と
こういう実態を考えた場合、前述のページあるような労働生産性の数字はどの程度信用して良いものやら…という疑問も相当に沸いてくるわけです。
そこへの疑問などはまた別な機会に書くとして、じゃあ流れ以外のところで生産性より収益性を高めるためになにか方策あるか?というと、弱小、零細の制作会社が権利関係を含んだ契約を求めても話しにならないのかもしれませんが、タレントやミュージシャンが個人であっても著作権に関してはちゃんと受け取れる仕組みが機能していることを考えると、日本におけるデザイン、クリエイティブ方面でももう少しこの手の収益の道筋が出来てこないものかと思ったり。
利息や権利収入などの首根っこを押さえているところは結局そういう契約内容を組み立てられる頭の良さが必要な訳で、さっきのどのポジションで仕事を取るかが儲け度合いに関係する話しにも通じるのですが、ただ好きなことやれれば良い…という大人げのなさがそもそもの原因なんだよなと、しみじみ感じる48歳の秋でした。
こういう人生経験が子供に「勉強しろ」…というノーマルでありながら当の子供には通じないアドバイスをしてしまう親の心境に通じたりするんでしょうな…(苦笑)