いつの時代も同じ? ジジババの話は退屈…子供の3人に1人「昔話は聞きたくない」
祖父母から昔はこうだった…という話の多くは、それもう何回も聞いたからって経験をお持ちの方も多いと思いますが、3人に1人の子供が、祖父母の話は退屈だから聞きたくないと「デイリー・テレグラフ」紙が伝えているって記事を見かけました。
せっかくの貴重な話も、聞き手が参考にして、自身の人生にその知識を活かせるかが問題だと思われ、自分もそうですが大多数の人は実際に経験してから、そんな話をされた経験あるよな、、、と気が付くケースのほうが多いのでは?と
テストの答えのように、正解・不正解で区別可能な話しだけじゃないですけど、良くも悪くも時間の経過と共に人生経験と加齢は進んでいくわけで、祖父母から話しのほか、親からアドバイス(言われた時点ではアドバイスというより説教状態だったかもしれませんが)をもっとちゃんと受け止めておくべきだった…という思う事はやはり出てきますよね。
若いときに「昔話は聞きたくない」といって拒絶してしまう姿勢、その当時なんでそんなに突っ張っていたのかこれまた原因不明だけど、そんな時期があったのも何となく身に覚えはあったりして、この歳になると苦笑するしか無い訳ですが、
自分の人生において行き当たりばったり的な不安定さを反省すると共に、能力高い人の素養の一つとして、小さいときからこういう話をちゃんと聞くことが出来て、学習知識や技術とうまく関係性を持たせながら積み重ねが出来るんだろうな…と
第3の産業革命というワードだったり、世の中の仕組みが昔とはやはり変わっていると感ずる場面は増えてますけど、このような変革の時代においてもアイデアを紐解いていくと歴史の中にヒントがあったり…みたいな話しは枚挙にいとまがないですから、前述したような素養を伸ばす教育に注力して欲しいものです。
「継続は力なり」という話しを小学校時代にされた時には、人生の場面場面でこんなにこの言葉を思い返すことになろうとは思っておらず(苦笑)20歳で社会に出てから27年、会社組織にしてから13年が経過した現在でも、色んな場面でこの言葉を思い返してる訳ですが、「退屈だから聞きたくない」って拒絶をしてしまうことの弊害ってけっこう大きいような気がしていて、
特に独立自営など社内的な身分が脆弱、不安定な人達の場合、今後どのように社会が変わっていくのか、そこに自分(の会社)がどう適応していくのか?のヒントがどこに隠されているかわからない訳ですから、子供時代だけじゃなく大人になってもオープンな姿勢って大事なんじゃないかと思います。
このような事例の他、人生半分を過ぎて来て、大昔に失敗した同様の話しで失策すると、自分の学習して無さに悲しくなりますんで、その辺はちょっとだけでも進歩したかな、、、と思いながら人生進んでいけるように地道な努力をこれまた継続するしかないですね(苦笑)