岡村詩野ライター講座 第6回課題「音楽は震災に対して何ができるのか。~無力なのか、有力なのか」
今回の災害についてはこれまで思ったことをいろいろエントリとしてアップしていて買占めネタについてはBLOGOSなどへの転載もあって普段より幅広い方々にご覧いただいていますが、オルタナのほうで多くの方にご覧いただいたのは
この2つのエントリで、動物と音楽ネタへの興味の高さが垣間見れます。
この他にもユニバーサルの「SONGS FOR JAPAN」や「アイのうた」についても多くのニュースサイトで紹介されているし、昨日はMUSICAの鹿野さんから「HOPE FOR TOMORROW」というサイトの事を教えていただいたりして、音楽を媒介とした震災支援の輪が広がっている様子は特別音楽に興味ない人にも確実に影響を与えてるだろうと思います。
寒さの厳しい東北地方でプライバシーもほとんどない避難所生活を送っている人たちにとって、自分の好きな音楽を聴く(聴ける)時間が、何よりの癒しの時間になるだろうと容易に想像できる訳で、とあるテレビ番組で「幸せを感じることがあまり出来ない人」が居るという事を紹介していて、確か遺伝子絡みの話しだったと思うのだけど、そういう人に「幸せ」を感じてもらうために有効なのは「音楽」なんだというのを紹介していたのを思い出したのでした。
このように音楽CDや音楽データが募金の媒介として機能するだけでなく、音本来が持つところで人間をより良い精神状態にもって行く手助けが出来るというのはやはり大事な話しで、小学校なり中学校での音楽の授業を思い出してもらうと、作曲された楽曲が、楽しいもの、悲しいもの、荘厳とか、軽やか、などなど音と感情表現を調性とかテンポ、演奏技法、楽器編成などさまざまな要素の組み合わせで表現しているという事は何となく授業で習ったことがあるのではないか?と思います。
制作者の手元を離れたものは何でもそうですが、作曲・制作する側が考えることがそのまま相手に伝わるか…というところでは難しい事もあり、そういう意味でクレモンティーヌやイヴァン・リンスが取り上げた(その他にも多くのアーティストが取り上げていると思いますが)「上を向いて歩こう」って月並みな言い方になってしまいますが、ほんと楽曲として素晴らしい!言うしかないです。
こういった事を踏まえ、音楽が震災に対して無力なのか、有力なのかという問いに、物理的な面で音楽は無力と言えるかもしれませんが、精神的、環境的な側面では大いに有効・有力であると言えるのではないでしょうか。
胎教におけるクラシック利用はかなり前から有名ですが、ワインやお酒、そのほか野菜などに音楽を聴かせることで熟成に差が出たり、乳牛に音楽を聴かせていた例では2~3%の増量が認められたなど音楽療法と言われるものは人以外でも利活用が可能なことは情報番組などでも紹介されています。
自分の人生、小学校の時にレッスンに通わせられていたピアノはドロップアウトしたくせに、その後手にしたエレキギターがきっかけで20代~30代前半はまさに音楽無しには成立しない生活、ライブハウスから始まり武道館や代々木のプールでのツアーなど本当に貴重な体験もさせてもらいました。
ただし、当時300万枚のセールスを記録するような日本を代表するバンドでレコーディングやライブを勤めるには自分の実力はあまりにふがいないものであり、そのバックバンドを辞めてから自身での音楽家としての活動やら、いろいろな試練を経て「音楽」と向き合うのが出来なくなった事もまた事実…この経験から音楽に触れること、聴くことは勿論、アレンジやら、ギターを触るのはもう勘弁…という時期も正直ありました。
ただ、今回の震災でお金を払ってもらう下請けの立場として、あの余震が続くなかで仕事を続けた事で、会社のスタッフの安全確保だったり、自分の家族の心配、そして大規模ではありませんでしたが地元の八戸の84歳になる母親の事など、自分の思う優先事項を優先できない事へのモヤモヤした感情と、食うために続けなければいけない「仕事」って自分にとってどういうモノなのか…という事にかなり考える時間を使いました。
悩みは尽きないですが、この震災を通じ人間の生活のはかなさを痛感しました。
会社や家族を抱えた現在、日々の生活のため「仕事」は確かに重要ではあるのだけれど、音楽を聴くことや楽器の演奏という「心と体の活性化」それはすなわち、「音楽は震災に対して何ができるのか」という所を越え「音楽は人生に対して何ができるのか…」というところで自分はやっぱり音楽と何かしら関わりをもった人生を歩もうと決めたのでした。
P.S.
今日のエントリ、今年の1月からお世話になっているOTOTOY 岡村詩野ライター講座の第6回課題として出された「音楽は震災に対して何ができるのか。~無力なのか、有力なのか」というテーマについて、震災の影響で開催スケジュールが4月にずれ込んだ関係で最終回に参加できない事と、テーマがテーマだけに自分としては公開を前提に書きたかったのでエントリとして書かせていただきました。