必要な事項についてのコピーをかき集めてならべ変えるのが精一杯、という「ライター」や「エディター」が生まれた時代
どうもここ最近本調子と言い難い状態が続いていて、それは必ず平日9時にエントリがアップされない…という症状として表面化してしまう訳です(苦笑)
なんだかんだと思い悩むうちに自分が精神的、物質的の両面において多くのモノを得た80年代について数冊の書籍を手に入れて読んでいます。
「スカ」だったと言われている80年代をどういう視点でエントリ化していくのか思案中ではあるのですが、今日紹介する書籍が1990年という時代にこんな事が書かれていたこと、そこに書かれている事はどうにもブログやネットメディアについていろいろ批判的な意見が飛び交った2005年あたりの風景と、その両時代においての指摘の類似性に思わず苦笑してしまったので少々長い引用となってしまうのですが紹介させてもらいます。
別冊宝島110号
80年代の正体!
それはどんな時代だったのか
ハッキリ言って「スカ」だった!
この中に大月 隆寛氏が書いた、こんな文章が掲載されています。
一億総中流の倒錯
みんな<ユーミン>になってしまった
本題は当然ユーミンの事なのですが、その冒頭はこんな感じで記されています。
彼女についての能書きならば毎週、あるいは毎月、どこかの雑誌で垂れ流されている…
中略
松任谷由実でなくても、たとえばサザンオールスターズについて、浅野温子について、浅田彰についてそれぞれ食いついてみてくれ、と言われたとしても、その事情は変わらなかったろう。
う~~む「浅野温子に浅田彰」この名前見ただけで、思わず自分がその暮らした四畳半一間アパート空間にいるような錯覚に陥ってしまいます(苦笑)
そして、こういう時は八幡山に行って考えるというのが作法となっているとして「大宅壮一文庫」のことが紹介されるのですが、ここからの記述が冒頭紹介した流れをたどっていくことになっていくのです。
日々アナーキーに垂れ流される新聞・雑誌メディアの「情報」を不完全とは言えひとまずここくらいのものだ。
だが、大宅文庫に行くことそれ自体が「ギョーカイ」の作法となってしまった今では、ただそこに収められた「情報」だけをデータベースとしてアクセスし、ちょいと切り貼りして一丁あがり、という「記事」が雑誌メディアに還流し、あふれかえるようになっている。自前の情報などは夢のまた夢。八〇年代を通じふくれあがり続けた雑誌メディアを動かしている資本の速度は、企画が立つと同時に大宅文庫に使い走りのアンちゃん、ネエちゃんを走らせ、必要な事項についてのコピーをかき集めてならべ変えるのが精一杯、という「ライター」や「エディター」を生んだ。
自分が10代後半から30代に入るまでは音楽が生活の大きな部分を占めており、こちらの側においてはやはり電子化の流れの中で、シーケンサーの進歩やサンプリング技術の進化でそれまで絶対的な評価基準であった演奏能力よりも、そういう電気楽器や電子機器の操作が上手であるか?が仕事の受注量を左右する時代になっていたのが80年代であり、そこに似た傾向が文章を書くことを仕事にされていた方々の環境にもあったということなのだろうな…と何か共通感覚を感じながらこの文章を何回も読み返してしまいました。
そして、具体的なユーミンについての記述に入るまえの文章の終わりは、先程の引用した文章からこんな風にまとめられています。
どれだけ膨大に「情報」が流通し、それを律儀に集めたとしても、それらはすでにある限られた量の一次情報のヴァリエーションにすぎないという難儀を深く考えないですむ速度。
それは日々を生きる生身の意識にとって、モルヒネにも似た麻酔効果を生んでいる。だから、平日の昼下がり、大宅文庫の閲覧室の空気ははなはだ身体に悪い。
1990年からすでに20年という歳月が経過し、紙媒体の情報の多くがネットにも情報を配信するようになった今、この当時に指摘された『必要な事項についてのコピーをかき集めてならべ変えるのが精一杯、という「ライター」や「エディター」』はどういう人生を送っているでしょう?
自分自身は分野は違えど、必要なサンプルをかき集めて再構築するのが精一杯という表現がまさにハマるタイプで、ほんと苦笑するしかなく、小学校時代に受けていた音楽教育からドロップアウトしてしまった事で結果的に基礎的な技術や知識の欠落というコンプレックスから抜け出せないまま45歳を過ぎてしまいました…多分この葛藤からは一生抜けられないでしょう。
ちなみに本日のエントリ作成のBGMは山下達郎の「RIDE ON TIME」1980年「FOR YOU」1982年などを掛けながら書いておりますが、こういう音楽作品が生み出された80年代というのはやはり自分のバックボーンから消すこと出来ないと痛感しております。
多分このネタ続く…