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シリコンバレーの進化の理由と、日本が再浮上するための条件

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シリコンバレーの進化
「分業」が国境を越えて拡大(日経ビジネス 2010.2.1)

 

シリコンバレーは、世界IT(情報技術)産業を牽引するこれからの米国
企業を輩出し、米ハイテク産業の「聖地」であり続けてきたが、1980年代に
その後の隆盛を予想する人は皆無だった。日本の半導体メーカーの攻勢に
遭って、シリコンバレーの半導体産業は崩壊寸前だったからだ。
しかし、90年代初頭にパソコン関連の新たな製品を手がける新興企業が
続々と出現し、シリコンバレーは再び成長軌道を描くこととなった。

 なぜそれらの新興企業は、シリコンバレーという特定の地域から生まれた
のだろうか。筆者はまず米マサチューセッツ州ボストン周辺の「128号線」
沿いのエリアと比較しながらその要因を分析している。

 新興企業がそれぞれ得意分野に専門特化し、パソコンの心臓部のCPU
(中央演算処理装置)、OS(基本ソフト)、周辺機器を手分けして開発する
「水平分業」体制を築いた。

 一方、DECをはじめ128号線沿いのIT企業は部品やソフトから周辺機器
までのすべてを自社で開発する「垂直統合」型の開発体制を維持し続けた。
そのため社外の変化に疎くなり、技術革新のスピードについていけなかった。

この他にも、政府が民間企業の研究開発に巨額の資金援助を行ってきたことや、
ベンチャーキャピタルが革新的な技術を用いた実験的な取り組みにリスクマネー
を提供していることをあげている。

 また、労働市場の流動性の高さも、重要な要因としてあげていて、

技術者の持つスキルやノウハウが転職先の企業に移る。このプロセスを通して、
かつては企業の内部にとどまっていた技術やノウハウが企業の外に流出し、
広く共有されるようになった。それが技術革新のスピードを加速した。

としてる。もちろん、移民の積極的な受け入れがあり、米国の大学や大学院で
教育を受け、高いスキルを身につけた外国人技術者が米国にとどまり、市民権を
得たことも大きい。

 2000年代に入ると、シリコンバレーで働いて経験を積んだ外国人技術者たちが、
出身地へ戻る動きが目立つようになり、シリコンバレーが地盤沈下するのではないか、
という懸念が広がるも、それを弱体化させるどこから強くしたのは何故か、筆者は
こう述べている。

 彼らは帰郷して企業したが、1980年代の日本企業のように米国企業と真っ向
から勝負しようとはしなかった。特定の分野に専門特化して、シリコンバレーで
発展した水平分業の一躍を担うことを選んだのである。

 つまり、シリコンバレーで発展したネットワーク型の水平分業体制が、米国の
国境を超えて広がったと、そしてシリコンバレーはそのネットワークの中心に位置し
続け、競争力を低下させるどころか向上させてきたと筆者は言う。もちろん、この地
が現在の強みを今後も維持していけると断言することはできない、とも釘を指している。

 シリコンバレーが現在のリードを失うとすれば、その原因は中国やインドとの競争に
敗れることではなく、人材や技術への投資の継続を怠ることによるものだとしている。
米国人ですら、自国の教育について、投資をもっと増やし、質を再び高める必要がある
と言っている点が私には印象的でした。

そんな中で、日本への提言として、
・政府は既に成功した産業を重点的に支援することをやめる
・政府は新技術を活用して新規事業の創出を目指す技研的な取り組みをもっと
サポートする
・民間企業は、旧来の産業区分にとらわれずに新たなビジネスを生み出そうと
する意識をもつ
・大学は象牙の等であることをやめ、産業界との協業に積極的に乗り出す
・銀行とは資本関係のないベンチャーキャピタルの創出

そして最後に
・失敗を許容する風土を醸成すること
が欠かせないとしている。

「うーん、そうだよな」と思うことがほとんどなのですが、教育の問題について
いうと、改めてはっとした次第です。
日本には技術や人材、資本が基本的に揃っている、とありますが、
私もそう思います。自分の仕事を通じて、そのあたりが今より円滑に動くような
貢献をしたいと考えています。

週末はテクノロジーの情報を少し離れて、経済や金融について、
ゼロから勉強するつもりでトピックをあげていこうと考えています。
投稿内容について、間違いなどあればご意見いただけると幸いです。
引き続き何卒よろしくお願いいたします。

それでは、また明日。

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