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懐かしきシングルレコードにはA面とB面がありました。A面はヒットねらい、B面はシンガーの個性を出す。ビジネスメディア誠の連載“うふふマーケティング”が「A面」なら、こちらは「B面」。自分のこと、思ったことを1/1スケールで書きます。

凍りかけた心を熱で溶かそう!日本発の革新商品のために

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最近のブログで2度ほど自転車の話題を取りあげた。最初は用品で、ユニークなシューズカバー、機能的なグローブ、アームウォーマーや700ルーメン(!)のLED前照灯など。いずれも海外企業製。次は"糸巻き自転車"。革新的な走行機構で、従来のチェーンとギアチェンジ機構を根底からくつがえした。これはハンガリーから。

animacio_kep.jpgどちらのエントリーも、最後はこんな文句で締めくくった。

今や日本からはこういう革新的なモノが出ない

すると2人の読者から同じような反応があった。「日本にもこういうのがありますよ」と。ご紹介頂いたモノは確かに優れたモノだし、さすがは日本の生産技術だと思う。だけど自転車業界に限らず、ブログで取りあげたくなる国産モノがほんとに減った。

【日本発の革新商品が少ないワケ】
ぼくはかれこれ4年以上、内外の色々な業界のモノやサービスをブログで取りあげている。その目から観て、リーマンショック以降、国産品には「従来のカタチを壊して挑戦をしよう」という気概が感じるものが少なくなった。自動車もパソコンも音楽プレーヤーもテレビも冷蔵庫も、「成熟商品」と自ら規定してしまって、ちょろっと作り直しているだけのような気がする。最近ワクワクした国産品は、GOPANHONDAジェットくらいだ。

今年のモノづくり大賞はAppleでしょう。を「作り直した」MacBookAirは、全て見直した商品になった。もちろんiPadを「創造」したのはもっと偉大だ。新しいコンピューティングまで創造したことを含め、iPadは2010年のグランプリ商品である。

日本発が無いワケを先日、先輩コンサルタントから聞いて納得した。彼によれば日本の生産現場は既に「差分」しか新設計をしないという。どういうことか。

たとえば自動車は4年に一度モデルチェンジをする。宣伝では"オールニューなんとか"と謳うけれど、実態はシャシーもエンジンもサスペンションも大きな変更はない。だが外見デザインや搭載パーツは変わる。その変更の部分だけは設計図面を引き直すが、他の部分は「触らない」というのだ。コストのため販売のため、理由は色々あるでしょうが、それでいいのだろうか?

「企業判断」に外野の分際では何も言えないけれど、もしも新しいことに「触れない」のが日本メーカーの実態であるなら(その先輩は生産現場に通暁してきた)嘆きたい。10年後、日本製造業はどうなっているのだろう。

【熱で凍りかけた心を溶かそう】
起点はやっぱり「」だと思うのだ。こうしたい、こういうのを作りたいと思う夢があればいつか実現できる。

雑誌『プリバリイン』に連載するネタを、先行でバラしちゃまずいからボカして書くけど、先日ある"印刷機"を取材した。その開発者(米国人)は十数年前に「そういうモノが欲しいと思った。するとその思いに近いモノを開発する技術者(米国人)に出会った。彼と一緒に作りだしてから約10年が経過した。

一方海の向こうの日本には、20数年前から「そういうモノ」を欲しいと思っていた人がいた(日本人)。彼は米国人達が開発したモノの存在を知った直後、電話をして押し掛けた。夢の一歩を踏み出したのだ。

夢という熱で凍りかけた心を溶かそうじゃないか。それが増えれば、日本社会は息を吹き返す。

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