宿命と運命の違い
先日法事があり、そこで担当いただいたお坊さんの説法で、宿命とか運命とか、「○命」
と書くいくつかの言葉とその意味に、結構感動させられました。(涙)
その思いを、私の経験に基づく理論で少しアレンジを加えて、私なりの解釈で解説したいと考えた次第です。
その考え方に基づき、最近は、受験を控えている自分の息子に、あるいは部下の人達に、与えられた命=機会を大事に生きるよう、少しでも悔いがないように頑張るよう、指導しているつもりです。
仕事上の関係や位置付け、成果や評価に限らず、家族を抱える仕事人(社会人)は、家族の長です。子供達や配偶者にとって、大事な「柱」であります。
仕事の場では心が折れることがたくさんあっても、家庭に持ち帰ることはできません。自分が疲れていても、基本形としては家族まで気が滅入ったりしないように気遣うし、各自が気持ちを強く持って自身の人生を能動的に進んでいけるよう教育するのは「柱」の役目と考えています。
偉そうに・・・って感じに聞こえてしまったら誠に恐縮なのですが、その説法への感動をご参考までに共有できればと、今日のエントリーにいたしました。ご理解いただければ幸いです。
そのお坊さんによれば、各「○命」には下記のような意味があるのだそうです。
(注:前述の通り、拝聴した内容に個人的経験を多少アレンジしております)
宿命:
「宿る」命であり、生命を授かるものはどこで誰のもと(両親等)で命が宿るのか、環境や条件を何も選ぶことができない。すなわち、「変えることのできない」命の形。
生命:
宿命に従い生まれてきた命が、「生きていく」様。どのような運命が待ち受けていようとも、「生きていく」ことは避けることはできず、どのような形であっても、人は必ず「生きていく」。
運命:
「運ぶ」命であり、生まれてきた「人」は自身が「生」きる「人生」の道や経過、もたらされる結果を、宿命と異なり自身の努力で変えることができる。自分の命は自身が「運び方」を変え、自身の命のその後の形を変更することができるのである。
寿命:
寿な(めでたい)命であり、命が終わるのではなく、仏教的には、極楽浄土にて新しく喜ばしい命の形へ変わり、現世で引き続き生命を全うしていく人達を見守る状態になること。いつ寿命を迎えるのかは誰も正確に予測することができない。だからこそ頑張って寿命を迎えた人にはめでたい来世が待ち受けているのである。
だそうです。
お坊さんによれば、人はそれぞれ、自身では変えられない「宿命」に従い「生命」を授けられる。しかし宿命に文句を言っても変わるわけではないので、自身の努力によって「運命」を変えていきながら自身の「寿命」を全うする。だからこれらを「寿命」「運命」「生命」「宿命」と呼び分け、使い分けることが重要なのである、ということだそうです。
別のエントリーにも書きましたが、社会人の貴方が上司や先輩を事前に選ぶことは殆どできません。
親を選ぶこともできません。生まれる地域や言語も、住まい他経済状態も、自身が生まれる前に基本決まっているわけで、選ぶことは原則できません。
なので、裏返せば、自身の仕事における部下に対しては、部下は自分の上司を選ぶことができない(と思っている)わけだから、上司である貴方がその部下のことを慮って丁寧に育てていかなければいけません。各々の部下が異なる宿命を背負っています。
それを理解し、それぞれへ必要な個別のケアを施すのは上司・先輩である貴方の務めです。
子供や配偶者も一緒です。貴方が彼ら彼女らの絶対唯一「常に味方」の存在です。宿命と、自身がその時点で変えられる運命の限界に従い、いろいろな障壁や苦難に彼ら彼女らは遭遇します。心折れそうなとき、家族を暖かく支えるのは「柱」である貴方の務めということになります。
この意識のもと自身の「運命」をコントトールしていくことが、考え方としては、家族全体としての、あるいは仕事場における貴方の管掌範囲の組織全体の、「寿命」の満足度を最大化するということなのだそうです。
家族においては、「柱」はそのように振る舞うべきだし、そのような「柱」の器の大きさに家族も一方的にならないように「気遣い」をし、バランスをとっていくようになる。部下と上司の関係もしかりだと言うことだそうです。お坊さん、恐るべし・・・(苦笑)
「怒る」と「叱る」の違いは当然として、叱り方やタイミングなど工夫を怠れば、部下や後輩や家族の「運命」を悪い方向へバイアスするリスク責任は、貴方が持っています。
ここまで書いておいて私自身は正直「ダメ親」「ダメ夫」だと毎日自戒していたりして(涙)、せめて「ダメ上司」だけにはならないようにしよう、少しでも「ダメ親」「ダメ夫」も改善しようと考えていますが、そういうスタンスをとろうとする自分に、前述した説法はとても参考になりました。
とりとめない話になってしまったかもですが、とにかく、例えば「宿命」と「運命」についての使い分けについて、少しばかりでも皆様のご参考になることがあれば誠に幸いです。