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老人が暴走するわけ

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佐々木さんが「子供も高齢者もキレまくりの日本」というエントリを書いています。老人は気長で他者に寛容であるという固定観念は今や正しくないのかもしれません。

藤原智美著「暴走老人!」は、成熟した高齢者中心の穏やかな社会は幻想であり、いままで以上にストレスのかかる高齢者社会になるのではないかと予想しています。

藤原智美は小説家です。学者やルポライターではありません。客観的なデータの積み重ねに基づく議論や、1つの事件を深く掘り下げた取材をこの本に期待すると、肩すかしを食わされた気がするでしょう。私は最初に読んだ時は、詰めの甘いドキュメンタリーだと思ってしまいましたが、最後まで読んで著者が小説家と知って納得しました。初めからエッセーだと思って読めば、価値があります。

この本で引用されている数少ない統計データによると、「いい歳をした」危ない大人が増えています。

2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上の高齢者は数にして、46,980人。平成元年にあたる1989年は9,642人だから、わずか16年で約5倍の増加というとてつもない数字になる。この間の高齢者人口の増加が約2倍だから、5倍というのはそれをはるかに超えた数字である。

分別があってしかるべきとされる老人が、ときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす。あるいは暴力的な行動に走る。こうした高齢者を、私はひとまず「新老人」と呼ぶ。

この本の中で、新老人は、税務署で、病院で、コンビニで、電車の中で、タバコの自動販売機の前で、キレまくります。

新老人はなぜキレるのでしょうか。

著者は、新老人が暴走するのは、500年の変化が50年で押し寄せた社会で、社会の情報化へスムーズに適応できていないことが原因だと考えています。激変する時代環境では過去の経験則はムダであるばかりか、社会適応への妨げになります。変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすると、つまずくことになり、それが新老人の生きる困難さであるとしています。

本の内容は大きく3つに分かれています。「時間」「空間」「感情」のそれぞれの観点から、これまでと何が変わっているのか述べています。

今回は、「時間」を中心にご紹介したいと思います。

ケータイの登場以降、人の心理は「待つ」から「待たされる」にシフトしたのではないか。そして、「待たされること」は、人の感情を苛立たせる大きな要因となった。

時代が待たなくていいように「便利」になるほど、「待つこと」のストレスは膨張し大きくなる。「待たされる」ことに過敏になる。

高齢者のほうが子供より体内時計の進み方が遅い。体内時計が遅いと、現実の時間が早く感じられる。

身体が時間に追いつかない。そのような焦燥感が、予期せぬ「待たされる」時間に遭遇すると、自分を見失うほどに怒りに転化する。病院や駅や銀行で「待たされる」とき、日ごろかかえている焦燥感が発火点になる。人間の老化と生理が、「待つ」「待たされる」ときの感情爆発を起こす。これはありうることだ。

それがなぜいまなのか、著者は、新老人がリタイヤして、会社や社会的立場から強制され与えられた時間割を失ってしまうと、「待つこと」に耐えられなくなるのではないかと考えています。リタイヤして自由な生活が始まってみると、自分で時間割をつくり、コントロールすることがどれほど困難であるかを思い知らされ、時間割からの解放のはずが実際は喪失と感じられるのだそうです。

時間割を失った日常に、唐突に「待つこと」「待たされる」時間が生じる。自由時間のなかの一コマととらえれば問題はない。だが、そう感じられないからこそ、タバコの自動販売機の前でイライラし殺し合うようなことが起きる。まるで、消えた時間割がまだ意識のなかだけには居残っていて、「待たされる」瞬間にたちまち復活するかのようでもある。

さらに、ケータイやインターネットなど、新しいシステムから排除されているという漠然とした不安感があるとしています。新しいシステムは何もITだけとは限りません。スターバックスでコーヒーを注文する一連のやり取りさえも、旧来の喫茶店しか知らない新老人には障壁となります。孤独な一人暮らしで昼間どこにも行くところがないというのも、排除と言えるでしょう。

暴走する新老人とは、「新常識」に順応できず、うまく乗り切れないために、情動を爆発させるしかない、システム化社会の鬼っ子ともいえるのではないだろうか。

これに加えて生活苦が重なった時、キレやすくなるのも無理からぬことかもしれません。せめて、歳を取ってから生活の不安がない世の中にしたいものです。

歳を取ってから変化を変化として認識していかなければならないのは、ある意味つらいことだと思います。私は気長で他者に寛容である老人になれるのか、いろいろ考えさせられる本です。

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