人的資本開示は「量」から「戦略との因果」へ― 改訂版・人的資本可視化指針が示す次の論点
私も微力ながらアドバイスした内閣官房・金融庁・経産省から示された「人的資本可視化指針(改訂版)」の骨子案を読み、人的資本経営が明確に次のフェーズに入ったと感じました。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/hizaimu/dai7/siryou3.pdf
ポイントは、人的資本を「どれだけ投資しているか」ではなく、「経営戦略とどう結びつき、企業価値にどう影響しているのか」を説明できるか、という点です。
今回の指針で特に重要だと感じた論点は以下です。
・人的資本投資はコストではなく、中長期の企業価値を左右する成長投資であることが明確化
・日本企業は設備投資・R&D投資に比べ、人的資本投資が国際的に見て低迷しているという構造課題
・単なる投資額の拡大ではなく、「投資の質」を高める必要性(スキル、研究開発人材、女性活躍、ダイバーシティ等)
・経営戦略と人材戦略を「依存と影響」「リスクと機会」という形で整理・説明する考え方
・ISSB基準を踏まえた、ガバナンス/戦略/リスク管理/指標・目標の4要素での人的資本開示
特に印象的なのは、「経営戦略 → 人材戦略 → 人的資本投資 → キャッシュフローへの影響」という因果関係を、定量・定性の両面で説明することが求められている点です。
これは、人事部門だけの課題ではなく、経営そのものの説明責任の話だと思います。
また、ジョブ・スキルに基づく処遇やリスキリングについても、「一律導入」ではなく、各社の経営戦略・歴史・事業特性に即した設計が重要であることが明確にされています。
人的資本経営はテンプレートではなく、戦略そのものだというメッセージが強く打ち出されていると感じました。
その上で日本企業における課題を挙げてみると以下のA-Cと考えています。
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課題A:投資家が見たい"2点"に企業が応えられていない
・投資家は、
① 経営戦略・事業戦略と人材戦略の連動
② 人材戦略が影響を与える財務指標
の2点に強い関心を持つが、企業側の対応は十分に進んでいない。
・その背景には、IR/サステナビリティ担当、HR、人材戦略と事業KPIを担う事業部門が「同じ設計図」を共有できていない構造的問題がある。
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課題B:国際基準対応の読み替えが難しい(ISSB/IFRS S1の理解不足)
・今回の改訂は、国際基準に沿った「ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標」の4要素での整理を求める方向で進められている。
・しかし多くの企業では、人的資本を従来「ESGの一部」として記述してきたため、IFRS S1が求める「将来キャッシュフロー、資金調達、資本コストに合理的に影響するリスク・機会」という財務マテリアリティの言語に翻訳しきれていない。
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課題C:労働市場向けの"対話"も求められ、メディア最適化が必要
・労働市場(従業員・学生等)も、経営戦略と人材戦略の連動に高い関心を持つようになっており、人的資本ストーリーは社外だけでなく社内説明にも影響を与える。
・結果として、有価証券報告書、統合報告書、中期経営計画、採用サイトなど複数媒体への最適化と一貫性確保が必要となり、実務負荷と社内調整コストが急増している。
また経営戦略と人材戦略の連動にフォーカスすると以下の課題が見えてきます。
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「経営戦略と人材戦略の連動を充実開示」方針に対する企業の課題
企業側の課題(実装の難所)
・"あるべき人材像"が事業セグメント別に切れていない
改訂では、経営戦略に基づき事業セグメントごとの組織・人材のあるべき姿を明確化することが求められるが、この整理が未整備な企業では連動開示が成立しない。
・人材施策が"施策ポートフォリオ"になっていない
採用・育成・配置・処遇・後継者・風土といった施策が個別に動いており、戦略課題に対する「人材投資パッケージ」として束ねられていないため、開示も施策カタログに陥りやすい。
・測定可能なKPI設計が難しい(事業KPIとの因果が弱い)
人的指標と事業KPIの因果が整理されていない場合、KPIが形式的なものに流れやすく、戦略連動を示しきれない。
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開示上の課題(書き方・出し方の難所)
・競争上の機微と具体性のトレードオフ
戦略連動を具体化するほど、重点領域や人材の量・質、投資水準が透け、競争上のリスクが高まるため、抽象表現に逃げやすい。
・比較可能性と独自性の両立が難しい
投資家は「共通KPIによる比較可能性」と「戦略に根差した独自KPI」の両立を求めており、これを一つのストーリーとして編集する高度な設計力が必要となる。
・4要素構造が社内分断を生む
ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標がそれぞれ異なる部門に割り当てられやすく、結果として寄せ集め型の開示になりやすい。