言葉はこうやって変わっていく
世間(の一部)で話題になっている、いわゆる「コンビニ言葉」ってのがあります。
たとえば
- ○○でよろしかったでしょうか?
- ○○になります。
- ○○円からお預かりします。
ってなやつです。これらは日本語の文法からいえば間違っているわけで、「日本話しことば協会」の認定講師のはしくれとしては実に気持ち悪い、と常々思っています。
が
先日、あるファミリーレストランに食事に行ったときのこと。隣の席には家族連れの4人組が座っておられました。お父さんとお母さんと、小学校1、2年生ぐらいの女の子(おそらくお姉さん)と3、4歳ぐらいの女の子(おそらく妹)です。
姉妹はファミリーレストランで食事しているということもあって(ホンマか?)、「ファミレスごっこ」をやっていました。お姉さんがお店の人の役で、妹がお客さんの役です。「いらっしゃいませー」から始まって、一連の「ごっこ」遊びが繰り広げられます。
で、いよいよお会計。お姉さんがレジ係です。そこでお姉さんは、
「代金は1,200円になります」
ほぉ、イマドキの小学生は、1,200が数えられるのか・・・いやいや、焦点はそこじゃない。
妹がおもちゃのお金で 2,000円を支払います。するとお姉さん、
「2,000円からお預かりします」
そのとき、はっとしました。彼女たちは、この言葉遣いしか知らないのではないだろうか、と。
物心ついた頃からファーストフード店やコンビニ、レストラン、スーパーなどでこの表現を聞かされていると、彼女たちにとってはこれが正しい言葉遣いになってしまっているんだ、ということに気づきました。しかもこのコンビニ言葉は、おそらく学校では訂正してもらえません。
つまり彼女たちにとっては、
- ○○でよろしかったでしょうか?
- ○○になります。
- ○○円からお預かりします。
という表現も、本来は正しい
- ○○でよろしいでしょうか?
- ○○です。(あるいは○○でございます。)
- ○○円をお預かりします。
も、単なる表現の選択肢のひとつにすぎない、と認識してしまうんだろうなぁ、と思ったのです。
本来は大人が正しい言葉遣いを子供たちに教えなければならないのだけど、その大人の大半が正しい言葉遣いを知らない。その一方で、「正しい言葉遣い」とはなんぞや?というとこれがまた難しい。「結局国語学なんて統計学で、圧倒的大多数の人がその言葉を使うと、それはそれで正しい、ということになっちゃうんですよ」と国語学の先生がおっしゃっていました。
辞書に載っている言葉が正しいかというと、必ずしもそうではない。私の友人に言わせると、「広辞苑にはこれだけでなく、十数箇所の間違いがある」んだそうです。
日本語は生きています。だから何が正しくて何が間違っているか、ということは時代と共に変わります。特に表現そのものが正しいか間違っているか、例えば『おいしい』を丁寧にした表現『おいしいです』は正しいのか、間違っているのか、といったことを目くじらたててあげつらうことに直接の意味はないのかもしれません。ただ少なくとも、ひとつの言葉が違った意味で相手に伝わることだけは避けなければなりません。そういった意味でも我々は、もっと言葉に興味を持ったほうがよさそうに思います。