40代の老眼なんて、今思えば楽勝だったな。
先日、ある著名な本を買い、読もうと思ったら、「これはなんだ!」というほど活字が小さい。
小さいなんてもんじゃない。虫眼鏡が欲しいくらい。(ちょっと大げさに言ってみました。)
本自体の版は大きいのに、なぜか活字がとてもとても小さい。狭い紙面にごちゃっと文字が詰まっている。
見えないのですよ、見えない。
上下に大きく余白が取ってあるのだから、「ここまで文字を広げればいいじゃないの」と突っ込んでみたりしています。
私、昨年からコンタクトをやめ、遠近両用メガネをかけているのですけれど、その「老眼用」で見ても見えない。
幸い?にも、もともとが近視のため、メガネを外したら見えるようになったのですが、それでも、距離がつかみづらい。
40代になったころ、目の焦点が合いにくくなってきたなぁとは思っていましたけれど、今思えば、まだまだでした。
●ほのぐらいと新聞が読めない(見えない)
●小さな活字の本も読めない(見えない)
そういえば、最近、食べ物のパッケージの説明もよく読めないし、暗がりのメニューも読めません。
母(77歳)と外食し、そのお店が間接照明だったりすると、メニューに一瞥をくれたらすぐ、
「わからないから、全部決めて」
と言うのは、
「どういう食べ物か分からないから決めて」
ではなく、
「暗くて、文字が小さくて、ぼやーっとした字の塊にしか見えないから決めて」
という意味だったのだなぁ、と最近ようやくわかってきました。
昔、昔、昔。
50代の上司が
「皆が作る資料は全部小さくて見えない!」
と半ばフンガイしながら、苦笑いしていた時、
「え、こんなに大きな文字にしてあるのだから、十分見えるじゃないか」
と思ったものでしたが、本当に「他人の気持ち」を忖度することもできず、「共感力」も足りず、申し訳ないことをいたしました。
今頃ですが、深くお詫び申し上げます。
これからますます高齢化が進む日本。
30代までの方には、
「資料の文字は大きく!」
ということをくれぐれも覚えておいていただき、ご協力をお願いできればと存じます。
いやあ、ホント、見えなくなってきた。
このブログの編集画面もなんとなくしか見えないので、ぼんやりした世界のなかキーボードを打っております。(画面の文字を大きくすればいいだけですが。笑)